yama1931’s blog

長編小説とエッセイ集です。小説は、明治から昭和の終戦時まで、寒村の医療に生涯をささげた萩市(山口県)出身の村医師・緒方惟芳と彼を取り巻く人たちの生き様を実際の資料とフィクションを交えながら書き上げたものです。エッセイは、不定期に少しずつアップしていきます。感想をいただけるとありがたいです。【キーワード】「日露戦争」「看護兵」「軍隊手帳」 「陸軍看護兵」「看護兵」「軍隊手帳」「硫黄島」        ※ご感想や質問等は次のメールアドレスへお寄せください。yama1931taka@yahoo.co.jp

2021-02-01から1ヶ月間の記事一覧

以心伝心

「以心伝心」を『広辞苑』で見ると、①禅家で、言語で表されない真理を師から弟子に伝えること。②思うことが言葉によらず、互いの心から伝わること。と書いてある。 私は此の事に似た事をこれまで二度ばかり経験した。これはあくまでも人間同士のことである。…

惜しむ可し

天気予報によれば「明朝は相当冷え込」とのことで、覚悟して昨夜床に就いた。今朝目が醒めたのは丁度4時だった。室内の寒暖計は10度を示していた。確かに寒さを感じた。昨日一昨日と続けて、起きたとき室内は17度もあったからである。戸を開けて外を見た…

漱石雑感

明治26年7月、漱石は帝国大学文科大学英文科を卒業するとすぐに大学院に入った。その年の10月に東京高等師範学校英語嘱託教師になっている。翌27年2月の初め、肺結核の徴候を認めて療養に努め、その時弓道を習う。彼は相当真剣に弓の稽古をしたよう…

落ち葉

今年も今日で終わり、明日から師走に入る。十二月は極月(ごくげつ)ともいう。居間の柱に掛けてあるカレンダーに目をやった。毎年萩のお寺から壁掛け用の細長いこのカレンダーをもらう。月毎にふさわしい気の利いた言葉や俳句などが書かれていて、それに英訳…

氷柱(つらら)

「天気予報」の予告通り、7日の朝起きて外を見たら前日と打って変わり、雪が降りしきり一面の銀世界だった。従って7日・8日と戸外には全く出ずに家の中に籠居していた。朝の8時に庭の石地蔵を拝もうと出てみたら、雪は全く解けずに地蔵様の上にも10セ…

今年最後の日曜日

暦を見るまでもないが、今日12月27日は今年最後の日曜である。暦には「大安」と書いてあった。何か良いことでもあるかなと思った。これより数時間前、夜中と云っても午前3時に目が醒めたので、トイレに行きまだ起きるのは早いので又床に入った。眠れそう…

死に臨んで

令和二年の秋のある日、萩市の南端に位置する木間(こま)という山間部で、窯を築いて萩焼茶碗を作っていた友人から、何だか重い段ボール箱が送られて来た。開けて見ると中に九箇のマーマレードの缶詰と三冊の筺入りのしっかりした本と、筺に入っていない古ぼけ…

思い出す事など

その一 小さな英雄 来年のNHK大河ドラマ『花燃ゆ』との関連か、運動場の整備などしているここ萩市立明倫尋常高等小学校は、旧萩藩「明倫館」の跡地に建てられたもので、木造二階建の本館棟と並行して、同じような三棟の校舎が堂々と立ち並んでいる。二〇…

秋の旅路に想う

昨年、台風一過の秋晴れの日に、老人夫婦三組で長湯温泉を訪れた。大分県の豊後竹田駅から少し北に入ったところである。この温泉は世界屈指の炭酸泉である。近頃は、偽証・偽造・偽装といった嘘がまかり通る世の中だが、ここは名実相伴っていた。 竹田駅に着…

ごしょうが悪い

ほとんど毎朝、私が食卓に向かって朝食を食べ始める前後に、どこからともなく一羽の鳩が飛んできて、硝子窓の外の褐色のレンガを敷いたベランダに姿を見せる。数羽の雀も殆ど同時にやってくる。必ずと云って良いほどやって来る。その理由は私が玄米を撒いてや…

1万歩と猫

昨日5月1日に3回も外に出た。平生なら別に取り立てて言うべきことではないが、コロナ感染を警戒して「不要不急」の外出はなるべく控えるようにと言われている最中だから、我ながら出過ぎたかなと思う。 いつものように早く目が醒めたので4時半だから直ぐ起き…

漱石と弓の句

一 人との出会い、事物との触れあいが多いほど、人生は豊かになると言えよう。漱石は50年足らずの生涯で、多くの良き友人や弟子に恵まれている。また数多くの事物に興味を抱き、真剣に取り組んでもいる。中でも俳句は正岡子規と知り合いになり、その後イギ…

随感

もう二十年以上過ぎた。平成十年九月に萩市から山口市に転居した時は、自分がこんなに長生きするとは思いもしていない。又妻が私を残して死ぬなどと考えてもみなかった。さらに云えば高校の同級生をはじめとして、友人知人の大半が鬼籍に入ることも全く念頭…

ジョルジュ・ルオー

神戸在住の知人から『随感』と題した文章と、それに添えて半切の便箋に書かれた手紙が来た。この便箋にはエル・グレコの宗教画が印刷されてあった。以前にも同じ便箋が使われていたので、私は彼が此の宗教画家エル・グレコに関心があるのかと訊ねたら、メー…

『杏林の坂道』の読後感

一 本誌『風響樹』に2001年(平成13年)から連載してきた伝記小説『杏林の坂道』を、昨年末に私家版として400冊ほど上梓した。当初は、残部が多く出たら処置に困ると思っていたが、幸いにも今は手元に殆どない。 文章を書くなど思いもしなかったの…

漢字の読み、その他

吉川英治の『宮本武蔵』を読んでいたらこんな文章があった。 「深夜である。深山である。真っ暗な風の中を、驀(まつ)しぐらに駆けてゆく白い足と、うしろの流れる髪の毛とは、魔性(ましょう)の猫族(びょうぞく)でなくて何であろう。」 私が気がついたのは、…

古い手記から

一 平成十年の夏、私は先祖代々住んできた萩市を後にして山口市に居を移した。その時古い桐箱を持ってきた。箱はすっかり変色して黒ずんでいた。箱蓋の右上に紙が貼ってあり、「梅屋七兵衛 毛利家御用にて長崎下向ノ一件書類 願書併勤功書」と墨書してある。…

床(ゆか)しい

数日前から読んでいる漱石の『門』を今日で読み終わろうと思って、目が醒めたのが四時半だったが、洗顔の後直ぐに机に向かった。主人公の宗助が鎌倉の禅寺へ行ったときの様子が書いてある。これは漱石自身の若いときの体験が基になっているようだ。こんな描写…

川と海

私がほとんど毎日散歩する小道に沿って、清らかな水の流れている1メートル幅の細い溝がある。山口市には大きい川はないが三方面を山で囲まれているために、蛍で有名な「一の坂川」や、私が今住んでいる吉敷の地区を流れる「吉敷川」といった、やや大きい川…

庭の掃除

今朝目が醒めたのは5時10分前だった。私はいつも9時を過ぎたら床に入るが、起きるのはやや不規則で、目が醒めた時点で床を出ることにしている。3時過ぎに起きることも時にはあるが、4時半前後に目が醒める事が多い。6時まで寝ていることはまずない。 …

易水寒し

今年一月二十七日、未明に目が覚めた。洗顔の後R・Hブライス教授の『HAIKU』(北星堂書店)をしばらく読む。夜も明けたようなので窓を開けると、戸外の冷たい空気が肌を刺した。夜間音もなく降った雪が家々の屋根に深々と積もっている。純白、清浄、静まりか…

梅と杏と桜

寒梅という言葉がある。馥郁たる芳香を放ち、寒い冬空に凜として立つ梅の木は美しい。特に古木となると中々趣のある姿を呈する。「臥(が)龍(りよう)梅(ばい)」という梅の品種もあるようだ。まさに大きな龍が体を捻らせて横臥して居るようである。 「春入千林…

風に聞け何れか先に散る木の葉

昭和四十一年に岩波書店から『漱石全集 全十八巻』が発刊されたとき、私は直ぐに注文して手に入れた。あれからもう五十年以上時が経った。各巻はずっしりと重い。しかし活字が大きいので老人になった今は読みやすい。妻も漱石を愛読していて、軽くて便利だと…

包丁を研ぐ&蝉

妻が生きていた時「包丁がよく切れないから研いでおくれ」と時々言ったので、外の流しの下に置いている荒砥(あらと)と中砥(なかと)の二つ砥石を台所の流しへ持ってきて、水道の栓を絞って水がわずかに滴るくらいにしてよく研いでいた。 今朝オクラとピーマン…

又(ゆう)玄(げん)

閑楽庵主人 一昨日は夜中に目が醒めた。時計をみたら一時だった。それから一時(いっとき)眠れないで結局三時頃まで起きていた。その後うとうととしていていたら目覚ましが鳴った。知らぬ間に二時間ばかり寝ていたのだろう。やや寝不足の感はあったが五時だか…

日々新

「無為」という漢字を辞典でみてみると、「無為自然」とか「無為にして化す」という言葉が先ず出てくる。これは「自然にまかせて、作為するところのないこと」と説明してある。これらは良い意味である。ところが「無為徒食」となると、「何の仕事もしないで…

理髪店主のまごころ

今日は八月三日、まだ盆前の週であるが、毎年この日に萩のお寺から盆のお参りに来られることになっているので、昨日からその準備だけはしておいた。今日は若い息子さんが代理で見えた。その少し前に下関に居住している私の長男が帰った。何かしら大きな紙包…

潸(サン)タリ

『平家物語』にある「敦盛最期」は何とも哀しい情景を描いている。敦盛の「ただとくとく頸をとれ」という言葉にうながされ「なくなく頸をかいた」熊谷次郎直実の心中はさぞかしと想像される。 「あはれ、弓矢とる身ほど口惜かりけるものはなし、武芸の家に生…

藪倒(やぶたお)し

私は雨がひどい時を除いて殆ど毎日散歩に出かける。我が家のすぐ近くの二車線の道路を横断し、「マックスバリュー」というスーパーの横を真っ直ぐ行ったところにある「六地蔵」を拝んで帰るのである。道の突き当たりがその六地蔵のある丘陵地で、そこまでの道…

蟇(ヒキ)

漱石の『行人』を読んでいたら「蟇」という字が出て来た。これは「ヒキ」とも言うが我々は「ガマ」と普通言っている。最近この大きなヒキガエルを目にしない。萩に居たとき、それもまだ父が生きていて、私が小学生の頃だからもう80年近く前になる。毎年夏…