yama1931’s blog

長編小説とエッセイ集です。小説は、明治から昭和の終戦時まで、寒村の医療に生涯をささげた萩市(山口県)出身の村医師・緒方惟芳と彼を取り巻く人たちの生き様を実際の資料とフィクションを交えながら書き上げたものです。エッセイは、不定期に少しずつアップしていきます。感想をいただけるとありがたいです。【キーワード】「日露戦争」「看護兵」「軍隊手帳」 「陸軍看護兵」「看護兵」「軍隊手帳」「硫黄島」        ※ご感想や質問等は次のメールアドレスへお寄せください。yama1931taka@yahoo.co.jp

包丁を研ぐ&蝉

 妻が生きていた時「包丁がよく切れないから研いでおくれ」と時々言ったので、外の流しの下に置いている荒砥(あらと)と中砥(なかと)の二つ砥石を台所の流しへ持ってきて、水道の栓を絞って水がわずかに滴るくらいにしてよく研いでいた。

今朝オクラとピーマンを俎板に乗せて切り始めたらどうも切れ味がよくない。こんな柔らかい野菜がスカッと切れないのは変だと思った。そう言えば妻がなくなって以来一度も研いでいなかった。手にしていた包丁をよく見てみると小さい刃こぼれが数か所あった。これでは切れないはずだと思い、先に述べたように二種類の砥石を取りだして研いだ。ついでにいつもよく使うのを二丁と出刃包丁を一つ、さらに小さなのも二本一緒に研いだ。

研ぎ終わったとき薄墨のような研ぎ汁が指先についたのでよく洗って、さてもう一度野菜を切ると、実に気持ちよくサックっと切れた。

 

私は最近次男が持ってきてくれた「電子書籍」で、吉川英治の『宮本武蔵』を楽しく読んでいる。つい先日次のような文章があった。それは武蔵が江戸に出てある刀(かたな)研(とぎ)のとこへ行ったとき、その研ぎ師が言った言葉である。

 

「常々師の光悦(こうえつ)が申すことには―由来、日本の刀は、人を斬り、人を害するために鍛えられてあるのではない。御代(みよ)を鎮(しず)め、世を護りたまわんがために、悪を掃(はら)い、魔を追うところの降魔(ごうま)の剣であり―また、人の道を研き、人の上に立つ者が自ら誡(いまし)め、自ら持(じ)するために、腰に帯びる侍のたましいであるから―それを研ぐ者もその心をもって研がねばならぬぞ―と何日(いつ)も聞かされておりました」

 

この言葉が頭の隅にあったから包丁を研ぐ気になったのかもしれない。「研ぐ」で今ふと思い出したことがある。それは以前従兄が彼の母親に習って茶杓を削るとき、「数百年も経った古い煤(すす)竹(だけ)を削ると、非常に硬いので切り出しナイフが直(じき)に切れなくなるので、しょっちゅう研がなければならない」と言っていた。

このことを拙著『杏林の坂道』に書いたとき、彫刻家の高村光太郎の詩を引用した。今その詩をもう一回見てみた。

 

   千恵子は寝た。 

   私は彫りかけの鯰(なまず)を傍らへ押しやり、

研水を新しくして

更に鋭い明日の小刀を瀏瀏(りうりう)と研ぐ

 

「瀏」という言葉が実によい。「きよい」「あきらか」の他に「切れ味がよく、さえている」という意味がある。当時光太郎の妻千恵子は精神的に正常ではなかった。光太郎はさぞかし苦しかったと思う。しかし彫刻に向かった時、又こうして小刀を研ぐときは一心不乱で精神は研ぎ澄まされていたと思われる。

 

私は研ぎ終えた包丁で野菜を切り、パンを焼き、コーヒーを淹れて朝食を終えた。私が朝の食卓に着くと、何処からともなく毎日一羽の鳩がやってくる。そこで私はその度に玄米をパラっと撒いてやることにしている。雀も来ることがあるが、やはり遠慮して鳩のおこぼれを啄(ついば)んでいる。鳩にしても雀にしても実に目がいいと思われる。離れたところの電線や屋根の上からでもこの米粒が見えるのだろう。

 

食事を終えて外に出て「あかめ」の垣根のそばへ行った。昨年油断していたので、この「あかめ」に実に多くの毛虫が取り付いて若葉を食い尽くした。今年はそうならないようにと気を付けている。今朝行ってみたら一匹に蝉がその木の小さな枝に止まっていた。蝉の鳴き声は時々聞くが姿を見たのは近来初めてのことだから、カメラを持ってきて写真に撮った。

 

早速パソコンで拡大して見たら、羽が透き通って奇麗である。子供のころ、萩の我が家に一本の桐の木が高くの伸びていて、それによくこれに似た蝉が止まって「シャーシャー」と言ってやかましく鳴いていた。私はその木にのぼって捕えようとすると、近づいた途端に鳴くのを止めてよく飛び去った。この蝉にも正式の名前はあるだろう。他にこれより小さい蝉も沢山いた。これは「ミーミー蝉」とか「チーチー蝉」とか言っていたが、いずれも鳴き声で区別していた。最近はこうした蝉もトンボも蝶もあまり姿を見かけない。これも一種の自然破壊と言うべきか。

 

いつぞや下関の名物の河豚を宮中に献上するといって、その道のプロともいえる職人が河豚の刺身を大きな皿に切っては盛り付ける様子をテレビで放映していた。

私はその手際の良さに感心すると同時に、あの柔らかい魚の身を、あのように薄く切るにはよほど包丁がよく切れなければ無理だろうと思った。刺身包丁という特別仕立ての包丁があるが、この包丁を鋭利に研ぐこともこの職人の大事な仕事に含まれるのではないか、と薄い蝉の羽を見て思った。

漢和辞典を引くと、「嬋娟(せんけん)」という言葉があり、この漢字を虫編でも書く。意味はいづれも「あでやかで美しい。美人」の意味だとある。蝉の羽の透き通るような美しさからの連想であろうか。

 

偶然の一致ということがある。私は時々『暮らしの365日 生活歳時記』(三宝出版)を見る。これは昭和五十三年に初版が出て、私が手に入れたのは五十五年の十九版のものである。1148頁もの浩瀚なもので色々なことが網羅されていて一冊の百科事典と言っても過言ではない。どのページを開けてみても教えられることが記載してあるから私は重宝にしている。

今日は7月26日だからその日付の開くと、驚いたことに「今日の歳時記」として蝉のことについて書かれていて挿絵も載っていた。私が偶然の一致といったのは、たまたま蝉に事を書いてそのあと散歩から帰り、今日の日付のところを開いたら蝉のことが書かれていたからである。その内容を書き写してみよう。

 

「今日の歳時記」

蝉  せみ

 七月半ばすぎると、いろいろの蝉がいっせいに鳴くのが聞かれる。ジイ、ジイとなく油蝉。ミーン、ミーンと鳴くミンミン蝉。シャー、シャーと鳴く熊蝉。ニイ、ニイと鳴くニイニイ蝉。あたかも時雨が降る様なのにで、この様を蝉時雨ともいう。鳴くのは雄で雌は鳴かないので唖蝉という。

閑かさや岩にしみ入る蝉に声  芭蕉

身に貯へん全山の蝉の声    三鬼

 

蝉の一生は最近の研究では一か月程度と言われている。それにしても短い命だと知った。

 

                     2020・7・262 記す