yama1931’s blog

長編小説とエッセイ集です。小説は、明治から昭和の終戦時まで、寒村の医療に生涯をささげた萩市(山口県)出身の村医師・緒方惟芳と彼を取り巻く人たちの生き様を実際の資料とフィクションを交えながら書き上げたものです。エッセイは、不定期に少しずつアップしていきます。感想をいただけるとありがたいです。【キーワード】「日露戦争」「看護兵」「軍隊手帳」 「陸軍看護兵」「看護兵」「軍隊手帳」「硫黄島」        ※ご感想や質問等は次のメールアドレスへお寄せください。yama1931taka@yahoo.co.jp

床(ゆか)しい

 

数日前から読んでいる漱石の『門』を今日で読み終わろうと思って、目が醒めたのが四時半だったが、洗顔の後直ぐに机に向かった。主人公の宗助が鎌倉の禅寺へ行ったときの様子が書いてある。これは漱石自身の若いときの体験が基になっているようだ。こんな描写があった。

 

「大変御静な様ですが、今日はどなたも御留守なんですか」

「いえ、今日に限らず、何時も私一人です。だから用のあるときは構はず明け放しにして出ます。今も一寸下迄行って用を足して参りました。それがために折角御出の所失礼致しました」

宜(ぎ)道(どう)は此時改めて遠来の人に対して自分の不在を詫びた。此大きな庵を、たった一人預かってゐるのさへ、相応の骨が折れるのに、其上に厄介が増したら嘸(さぞ)迷惑だらうと、宗助は少し気の毒な色を外に動かした。すると宜道は、

「いえ、些(ちっ)とも御遠慮には及びません。道の為で御座いますから」と床(ゆか)しいことを言った。

 

この文章の少し後にこんな文章がある。

 

宗助は一見こだわりの無ささうな是等の人の月日と、自分の内面にある今の生活を比べて、其懸隔(けんかく)の甚だしいのに驚いた。そんな気楽な身分だから坐禅が出来るのか、或は坐禅をした結果さういふ気楽な心になれるのか迷った。

 「気楽では不可(いけ)ません。道楽に出来るものなら、二十年も三十年も雲水をして苦しむものはありません」と宜道は云った。

 

まず始めの引用文の最後にある「床しい」という言葉に、私は何かしら引かれるものを感じた。近来「心ゆかしい」、「奥ゆかしい」、或いは同意語の「雅(みやび)やか」「淑(しと)やか」「典雅な」「窈窕(ようちょう)たる」と云った言葉を全く耳にしない。およそこの言葉の反対を意味するような言葉で充満している。即ち、「がさつな」「慎みがない」「出しゃばる」「はしゃぎ回る」。これに加えて金(かね)、金(かね)、金(かね)といった言葉と、何でも早ければいいと言うスピード狂を反映する人間の欲望をあらわす言葉や事物で、現社会は狂わんばかりである。金も社会的地位も或いは時勢に遅れないと言うこともある程度は必要だが、いったん病気、それも認知症のような自己の喪失、自らを律することができなくなったら、こうしたものは何の役にも立たない。このようなもののみを生涯にわたって求め続け、本当の人間性、品位のある人格、奥ゆかしい心を全く無視して一生を送るとなると淋しいものだと思う。

 

山路来て何やらゆかしすみれ草      芭蕉

 

この句の中にある「ゆかし」が「すみれ草」の姿を象徴する言葉として相応しいと芭蕉は見て取ったのではなかろうか。松尾芭蕉は一六九四年に五十歳で亡くなった。それから七十六年後の一七七〇年に、日本をはるか離れたイングランドの北西部湖水地方の一角で、ウイリアム・ワーズワスが生まれた。私は今から十年ばかり前に、一人の友人と彼の誕生の地を訪ねたことがある。友人は北朝鮮清津(現在のチョンジン)に住んでいて、終戦と同時にロシア兵が侵入してきて、命からがら船で脱出したといったような話を旅行中語ってくれたが、数年前に亡くなった。旅は道連れというが実に良い友だった。その彼と「イギリスの田園巡り」のツアーに参加したときである。ワーズワスの生活していた所は、水と緑豊かな清閑の地といった印象を受けた。観光客もいるにはいたが、わんさと押しかけてはいないで、むしろ閑散としていた。ただ彼が住んでいた街並みで目に付いたのは、家毎に薔薇を植えていて、それが道行く人の目を楽しませてくれた。外の花には気づかなかった。私は朝早く起きて友人と二人でホテルのすぐ前の湖水まで行ってみた。白鳥が静かに湖面に浮かんでいた。

 

ワーズワスに『ルーシー詩編』というのがある。その中に次のような詩がある。

 

 その女(ひと)は人里離れて暮らした  

  鳩という名の流れの水源に近く。

 その女(ひと)を褒めそやす人はなく 

  愛する人とても数少なく。

 

 苔むす岩かげの菫のごとく

人の目につくこともなく。

    ―星のごとくに麗しく、ただ一つ

     輝く星のごとくに。

 

    人知れず暮らし、知る人ぞ知る。

ルーシーが逝ったのはいつ。

    地下に眠るルーシー、ああ、

     かけがえのないルーシー。

                  『ワーズワス詩集』(岩波文庫

    二番目の詩の原文の載せてみよう。

A  violet by a mossy stone

Half hidden from the eye!

Fair as a star, when only one

Is shining in the sky.

 

ここに訳出されている「菫」も芭蕉の歌った「すみれ草」もどことなく感じが似ている。ということは洋の東西を問わず、ワーズワスも「もののあわれ」を感じ取ったと思うのである。彼はこの慎ましく生きて寂しく死んだ田舎娘に密かに思いを寄せていたのかもしれない。

ここで私は「床し」という字に疑問を抱いた。何故「ゆかし」に「床」の字があててあるのかと。そこで『広辞苑』で「ゆかし」を引いてみたら次のような説明があった。

 

ゆかし・い【床しい・懐かしい】ゆか・し(動詞「行く」から。「床し」は当て字)

 

そこで私は「行く」という動詞を又辞書で引いてみた。非常に詳しい説明が載っていたので肝腎な個所だけ書き写してみる。先ずこう書いてあった。

(奈良・平安時代から「ゆく」と併存。平安・鎌倉時代の漢文訓読では、ほとんど「ゆく」を使い、「いく」の例は極めて稀。

 是だけではまだ分からないので、今度は『漢和辞典』で「行」の字を調べて見ることにした。そうするとこれまた多くの意味があることを知った。ずーっと見てみたらこのような意味が書いてあった。

 

《名》おこない。 ふるまい、身持ち、また佛に仕える者のつとめ。品行 修行

 

  これでどうやら「床しい」に「床」の字が当てて有るのが分かったような気がした。

 言葉とか漢字は、意味もだが読み方も結構難しい。鷗外や漱石の作品を読む時は、辞書を手元に置いていなければ、正確な意味を把握出来ないのではなかろうか。

 『門』には坐禅の事が書いてある。私は山口市に来て瑠璃光寺の参禅会の末席に一時名を連ね、坐禅の真似事をしたので、この名作を非常に興味深く読んだ。この事については後日気が向いたら書いて見よう。

                         2020・8・18 記す