yama1931’s blog

長編小説とエッセイ集です。小説は、明治から昭和の終戦時まで、寒村の医療に生涯をささげた萩市(山口県)出身の村医師・緒方惟芳と彼を取り巻く人たちの生き様を実際の資料とフィクションを交えながら書き上げたものです。エッセイは、不定期に少しずつアップしていきます。感想をいただけるとありがたいです。【キーワード】「日露戦争」「看護兵」「軍隊手帳」 「陸軍看護兵」「看護兵」「軍隊手帳」「硫黄島」        ※ご感想や質問等は次のメールアドレスへお寄せください。yama1931taka@yahoo.co.jp

2018-12-01から1ヶ月間の記事一覧

杏林の坂道 第三章「三菱長崎造船所」

杏林の坂道 第三章「三菱長崎造船所」 (一) 憧れの萩中学校に入学して、蓬(よもぎ)色の霜降りの制服を始めて着用したとき、「今日から萩中学校の生徒になったのだ」、という自信と誇りを惟芳は感じたのであるが、今ここに支給された長船(ながせん)の制服で…

杏林の坂道 第四章「帰省」

杏林の坂道 第四章「帰省」 (一) 鹿(か)背坂(せがさか)隧道の難工事は、萩町と明木村との境をなす峠の下を掘削することによって始まった。工事が無事終わったのは明治十七年(1884)七月。惟芳はその一年前に生まれた。長さ約180メートル、幅約4.…

杏林の坂道 第五章「旧師訪問」

杏林の坂道 第五章「旧師訪問」 (一) 朝食を食べ終えて一休みした後、惟芳は母に言われていたので、菩提寺である端坊(はしのぼう)へ参詣した。門を入ると本堂正面に安置してある金箔の阿弥陀仏を礼拝し、本堂の左側奥まった処にある位牌堂へ行って祖先の霊…

杏林の坂道 第六章「シーボルト」

杏林の坂道 第六章「シーボルト」 (一) 惟芳はここ数日間夜遅くまで製図を画くことに専念した。学校で習う教科の復習にはそんなに時間はかからないが、製図にはミスが許されないので神経を集中しなければならない。そのために起床が常よりも少し遅くなるこ…

杏林の坂道 第七章「日露戦争従軍日記」

『図説 日露戦争』(河出書房新社版) 杏林の坂道 第七章「日露戦争従軍日記」 (一) 国元の父尚一から封書が届いた。惟芳は早速封を切って読み始めた。巻紙に毛筆で書かれた父の書簡は、次のような内容であった。筆跡はまだしっかりしていると彼は思った。…

杏林の坂道 第八章「医師への道」

(一) 満州の曠野では、看護兵といえども毎日が死と隣り合わせであった。九死に一生を得て帰還した惟芳は、今は銃声も聞こえず弾雨も飛び交うことのない内地で、平穏な朝を迎えることができた。東西南北どちらを向いても雲一つない清々しい明治四十年の元旦…

杏林の坂道 第九章「村医者となる」

(一) 明治四十四年の暑い夏も終わり、せわしく鳴いていた蝉の聲もいつしか弱まり、日中暑熱に耐えていた庭木も秋風に生気を取り戻してさやかに揺れていた。 惟芳は下宿の五右衛門風呂に身を沈め、時の早い移ろいを感じながら、独り閑かに思いに耽るのであ…

杏林の坂道  第十章「村人たち」

(一) 山陰線は地形上、山陽線に比べてトンネルが多い。とくに宇田郷駅を間に挟んで、木与駅と須佐駅の間は異常なほどで、長短十二ものトンネル(現在は線路改修で十本)があった。また山陰線が開通したとは言え、宇田郷村は僻遠の地に変わりはなく、一時村…

杏林の坂道 第十一章「惟芳と息子たち」

(一) 宇田郷村には川と呼べるものが二つある。その一つ宇田川は村の長い海岸線の中央あたりに位置し、海岸線に対してほぼ直角に流れている。この海岸線に沿った県道と、川の左岸の小道だけはやや平坦である。小道は上流に向かって一キロばかりのびている。…

杏林の坂道 第十二章「硫黄島への軌跡」

(一) 繰り返して言うが、惟芳が先妻のシゲと結婚したのは大正二年一月である。第一次世界大戦が勃発する五カ月前の事である。シゲは二人の男の子を生んだ。長男の芳一が生まれたのは大正三年四月である。寅年生まれである。次男の勇夫は大正七年十月に生ま…