yama1931’s blog

長編小説とエッセイ集です。小説は、明治から昭和の終戦時まで、寒村の医療に生涯をささげた萩市(山口県)出身の村医師・緒方惟芳と彼を取り巻く人たちの生き様を実際の資料とフィクションを交えながら書き上げたものです。エッセイは、不定期に少しずつアップしていきます。感想をいただけるとありがたいです。【キーワード】「日露戦争」「看護兵」「軍隊手帳」 「陸軍看護兵」「看護兵」「軍隊手帳」「硫黄島」        ※ご感想や質問等は次のメールアドレスへお寄せください。yama1931taka@yahoo.co.jp

ごしょうが悪い

 

 ほとんど毎朝、私が食卓に向かって朝食を食べ始める前後に、どこからともなく一羽の鳩が飛んできて、硝子窓の外の褐色のレンガを敷いたベランダに姿を見せる。数羽の雀も殆ど同時にやってくる。必ずと云って良いほどやって来る。その理由は私が玄米を撒いてやるからである。一体どこから見ているのだろうか。何しろあの小さい米粒である。それが見えるということはやはり目が良い証拠である。味を占めたのか習慣化している感じである。こうして餌を折角やるのに、雀は硝子越しでも私が窓に近づいたら一斉にパッと飛び立って逃げるが、鳩はその様な素振りは見せない。しかし窓を開けたらトットットと遠ざかる。中々用心深い。所が今朝は鳩も雀も姿を見せなかったので、「今日は来ないのか。珍しいことだ」と思いながら食事を終えた。終えても彼らは姿を見せなかった。

私は一人になってから昼食は別に決めては食べない。今日はただ簡単にお茶を飲み、トマトを切って食べた。その後台所の戸を開けて外に出てみたら、この暑いのに一面に敷き詰めてある砂利の上に、いつもの鳩が羽をすぼめて蹲(うずくま)っていた。先に述べたレンガ敷きのベランダは一段高くなっていて、その下が砂利を敷いた地面である。草が生えて困るので砂利を業者に敷いて貰った。お蔭で除草の手間が省けて助かった。

 ここ一週間ばかり炎熱が続いていたが、昨日久し振りに雷鳴とともに恵みの雨が降り、今日は朝から雲がかかって多少凌ぎやすい。砂利と鳩の色が似ているので見分けが直ぐには付かなかった。鳩は砂利石がそれほど火照(ほて)るほどの暑さではないから蹲っていたのかもしれない。しかし本能的に餌を求めて来たのだろう。そうは言ってもこの炎暑のもとで、じっと黙って餌を貰おうと待っていたのだろう。それで私は「ごしょうが悪い」ので直ぐ引き返して玄米を少し撒いてやった。

 

 昔年寄りが、「その様な事をしてはいけん。ごしょうが悪いから」とよく言っていた。私はふと思った。「ごしょうが悪い」というが「ごしょう」とはどの様な漢字を当てるのだろうかと。そこで小学館の『日本国語大辞典』を二階の書架から持って下りて開いて見た。一冊でもかなりの重さである。

 人は簡単に「ごしょう」と言うが、次のように幾つかの意味があるのを知った。ただ「ごしょう」と言ったとき、どの漢字が当てはまるか直ぐには分からないのではなかろうか。

1)五性・五姓 《輪廻思想による考え》五たび死にかわり、再び人間に生まれること。

2)五障 仏語。女性がもっている五種の障害。

3)五餉 ひるめし

4)誤称

5)前世、今生(こんじょう)と対応して用いる仏語。

最後の5)の説明に、「ごしょうが悪い」の言葉があった。

 「来世の極楽往生もおぼつかない、転じて、後味が悪い。」

年寄りが意味していたのはこれで、さらに云えば「可哀想だ」の意味ではないか。

この外に「ごしょうを願う」という言葉もあって、次のように説明してある。

「佛の慈悲心を信じて、極楽往生を願う。転じて、佛の加護を頼み幸運を祈る」

私の祖母は元治元年(一八六四)の生まれで八十歳で亡くなった。父は明治三十年の生まれで昭和五十七年に八十四歳で安らかに往生した。したがってどちらも戦後の思想には染まっていない。素朴に仏の教えを信じていたと思う。日本人は神仏を尊び、祖先を敬い、自然に畏敬の念を抱くといったことが、戦前はそれこそ自然に抱いていた感情だった。しかし今はどうだろうか。

 

戦後GHQの方針で、「3S(スリーエス)」という考えを植え付けられた。これは三つ英単語の頭文字である。即ちSEX・SPORTS・SCREENのことである。

私が県立萩中学校二年生の時終戦になり、英語の教科書に「KISS」という言葉が出た時、クラスの皆が笑って一時授業が止まった事を覚えている。大学に入って、イギリスの中世の詩人チョーサーの詩の中に同じような男女の抱接(ほうせつ)の場面が出たとき、先生は敢えて日本語に訳すのを避けられた。それが今は性の氾濫である。

次にスポーツだが、100メートルをいくら早く走っても又泳いだところで、チーターやイルカといった草原を疾駆する獣や、大海を泳ぎ回る魚には叶わない。それが1秒の何分の1早い遅いと言って大騒ぎをする。馬鹿らしい事ではないか、という人が中には居る。私はそうは思わない。やはり若者が身体を鍛えて、走り、跳び、投げたりする姿は見て素晴らしく、また美しい。ただ問題は今やオリンピックは本来の精神を忘れて、全く商業化して記録の更新に大金を出すことである。

本来スポーツとは「娯楽。遊び」で魚釣りや狩猟などもこの言葉に含まれていたようである。その点我が国で行われてきた武道、中でも剣道や弓道には娯楽の要素はない。だから見ていても身の引き締まるような精神性というべき清々しさがある。この対極にあるのがプロレスリングである。これはスポーツの範疇に入れるべきではなかろう。 

論語』に「子曰く、君子争う所無し。必ずや射か。揖譲(ゆうじょう)して升下(しょうか)し、而して飲まししむ。其の争や君子なり」という言葉がある。

【通釈】は「孔子言う、君子は人と得失を争い、勝敗を競うことを決してしないが、もしするとなると、まず弓の競射であろうか。その場合も極めて礼儀が正しい。二人一組の選手が鄭重に譲り合って堂に上り、射を演じて堂から下りる。勝敗が決したら、また礼儀正しく堂に昇って酒を飲み合う。その進退はすべて礼儀を失わない。其の争いたる、まことに君子人らしい美しい争いである。(『論語 新釈漢文大系』明治書院)  

現代の中国にこうした伝統が残っているだろうか。私は萩から山口に移り住んで直ぐに弓道を習って少し稽古した。全く物にはならなかったが、弓道には興味を抱くようになり、お蔭でこう言った文章が目に入るようになった。我が国にはこの伝統が残っていると思われる。果たしてこう言った精神性を供えた運動競技が他の国々にあるだろか。

それはさておき、何でも早ければいいと言って、早口に喋ったり、制限速度以上に車をぶっ飛ばす者が絶えないことは困った事である。ついでに思った事を書いてみよう。

新幹線は確かに速くて便利である。しかし途中の景色は全く目に入らない。以前は各駅停車の鈍行列車に乗れば、窓外に移りゆく森や野や山や川や海といった自然の景色が楽しめた。今は出発点から目的地へ驀地(まっしぐら)に行くだけである。広重の『東海道五十三次』の絵に見られるような風景を楽しみながらの旅は儚い夢になってしまった。

私は小学生の時よく学校を休んだ。その時は狭い三疊の茶室に寝かされた。布団の枕許に風炉先(ふろさき)屏風(びょうぶ)が立ててあった。その屏風にこの「東海道五十三次」の絵が切り貼りしてあったので興味深く見た覚えがある。しかしその後その屏風はどうなったか分からない。

さて、最後のスクリーンとはシネマ(映画)のことである。終戦直後テレビなど外に娯楽がないので、青年男女の唯一の楽しみと言ったら映画を見に行くことぐらいだった。萩市内の中心部に「喜楽館」という映画館があった。それこそ天井桟敷まで鈴なりの観客で埋まっていた。大きなスクリーンに映し出されるハリウッドのスター達の姿に多くの日本人が魅せられたと思う。

イングリッド・バーグマンビビアン・リーゲーリー・クーパやカーク・ダグラスなどといったスターを見た後は、自分が彼らになったような気持ちになって映画館から颯爽と、又ぞろぞろと出たものである。確かに面白い感情移入と言えよう。

 

こういった三種の策略というべき行動で、日本人を骨抜気にしようとしたと言われている。現代はシネマからテレビ、さらにスマホが取って代り、若者の多くがスマホを手にして絶えず手元の小さな機器を屈み込んで見ている姿はあまり褒めたものではない。こうして日本の若者は今や完全にアメリカの戦後政策の術中に嵌まり、さらに金、金、金の時代になってしまった。そして国のために尽くす気持ちが薄れた様な気がする。

これは戦前の日本人の真面目さが戦争に繋がったと誤解し恐れたために、アメリカが打ち出した政策の結果ではなかろうか。教育の影響力は甚大である。「教育勅語」が危険視されている。私はあの中には人間として生きる上での立派な教えが多分にあると思う。それを皆否定して省みないのはどうかと思う。いま隣国の韓国や中国では極端な反日教育が小学生から施されていると聞く。「三つ子の魂百まで」と言うが、若いときに偏った思想で汚染されると、生涯にわたってそれから脱することは容易ではない。我が国が戦前にやや似たような事があった。それは是正されるべきだが、これから本当の意味で世界の全ての人々が、民主的で自由な生活、真の意味での平和を謳歌出来るようになるのは、果たして何時のことになるだろうか。人間同士はもとより、全ての生あるものに対して、「ごしょうが悪い」事をしないようになれば、世界はもっと平和になるであろう。妄言多謝。                                

 

2020・8・23  記す