yama1931’s blog

長編小説とエッセイ集です。小説は、明治から昭和の終戦時まで、寒村の医療に生涯をささげた萩市(山口県)出身の村医師・緒方惟芳と彼を取り巻く人たちの生き様を実際の資料とフィクションを交えながら書き上げたものです。エッセイは、不定期に少しずつアップしていきます。感想をいただけるとありがたいです。【キーワード】「日露戦争」「看護兵」「軍隊手帳」 「陸軍看護兵」「看護兵」「軍隊手帳」「硫黄島」        ※ご感想や質問等は次のメールアドレスへお寄せください。yama1931taka@yahoo.co.jp

以心伝心

 

「以心伝心」を『広辞苑』で見ると、①禅家で、言語で表されない真理を師から弟子に伝えること。②思うことが言葉によらず、互いの心から伝わること。と書いてある。

 私は此の事に似た事をこれまで二度ばかり経験した。これはあくまでも人間同士のことである。しかし今日は相手が猫だったから面白い。

私は妻が亡くなって数日経って、毎日近くの六地蔵へ散歩を兼ねて拝みに行く事にしている。其所への道筋は厳密に言えば七通りもある。その内の一つの道筋に、猫を飼っている家がある。私は或る日煎り子を手にしてその家の前に来たとき、三匹の猫が何時ものように日向ぼっこをしているので近づいて投げてやったら。恐れて皆逃げた。

見知らぬ者を恐れ警戒しているなと思って、その日はそのまま六地蔵を拝んで家に帰った。六地蔵からその猫を飼っている家までの距離は200メートル位離れて居る。

その後数日して六地蔵を拝み、何時ものように石段を登って、道路から10メートルの高さまで登ったら、途中の木陰に例の猫が2匹うずくまって日向ぼっこをしていた。

この低い丘の東向きの斜面は墓地になって居て、新旧多くの墓が建ち並んでいる。猫たちは飼われている家からここまで歩いて来て日当たりの良い場所でくつろいでいるのだと知った。

これは一つの発見だと思い、散歩に出かける時、煎り子か竹輪を切って紙に包んで、できたら猫にやろうと思って毎日出かけた。やはり猫もこちらの気持ちが少しづつ分かるのか恐る恐る近づいてくるようになった。私は六地蔵を拝みに行く時間は日によって午前中の時もあれは真昼の時もある。今日は朝早くから良く歩いた。先ず7時に榊と花を買ってきて神仏に供えた。我が家から歩いて片道500メートルの処で毎朝7時に店を開く「ログ・ハウス」へ行ったのである。昼過ぎになって、もうすぐ刷り上がる同人誌『風響樹』を何人かに送るための角封筒を買おうと思って、家から一番近いスーパーまで歩いた。行って帰るのに1時間15分も掛かった。丁度家に帰り着こうとしていたとき、郵便配達人が我が家を離れかけようとしていた。間に合ってよかった。萩の妻の親友に、妻の知人たちに差し上げてくれと言って送っていた『硫黄島の奇跡』を、10人に配って買って貰ったとかで、その代金を手紙と一緒に届けて下さったのである。家に入ると直ぐにお礼の電話をした。今日は日中の氣温が26度とか言っていたので流石に1時間以上も歩くと汗ばんだので帰ると直ぐシャワーを浴びた。

私は雨が降っても風が吹いても六地蔵への散歩を兼ねたお参りは続けているので、夕方5時になったので煎り子を紙に包んで出かけた。このところ3日ばかり猫の姿を見ないので空しく持って帰っていたのだが、今日も猫の姿が見えないので、もう仕方がないと思って、10メートルばかり登った所の空き地に紙から出して、何時か見つけて食べるだろうを思って其所に撒いてその場を立ち去ろうとしたら、「ニヤーン」という鳴き声が聞こえて三毛猫が出て来た。何処にいたのだろうか。この三毛猫が一番人なつっこい。それにしても5時前にただ1匹いたのには驚いた。煎り子を撒いたそばまで呼び寄せると、喜んで食べ始めたので、私はいつものようにその髙所から市街地を見下ろした後、そこからまた石段を下ってもう一つ別の処になる六地蔵を拝んで帰った。

煎り子を地面に撒いて帰りかけた時までは「今日も猫は来ていないのか」と言った失望の気持ちを抱いていたのだが、猫が近づいて来たのには驚くと同時に何だかホッとした気持ちになった。まさか猫と「以心伝心」ではなかろうが、よく居てくれたと思ったのである。                     

                           2020・5・1 記す