yama1931’s blog

長編小説とエッセイ集です。小説は、明治から昭和の終戦時まで、寒村の医療に生涯をささげた萩市(山口県)出身の村医師・緒方惟芳と彼を取り巻く人たちの生き様を実際の資料とフィクションを交えながら書き上げたものです。エッセイは、不定期に少しずつアップしていきます。感想をいただけるとありがたいです。【キーワード】「日露戦争」「看護兵」「軍隊手帳」 「陸軍看護兵」「看護兵」「軍隊手帳」「硫黄島」        ※ご感想や質問等は次のメールアドレスへお寄せください。yama1931taka@yahoo.co.jp

漢字の読み、その他

 

 吉川英治の『宮本武蔵』を読んでいたらこんな文章があった。

 

 「深夜である。深山である。真っ暗な風の中を、驀(まつ)しぐらに駆けてゆく白い足と、うしろの流れる髪の毛とは、魔性(ましょう)の猫族(びょうぞく)でなくて何であろう。」

 

 私が気がついたのは、「深夜(しんや)」と「深山(みやま)」の読み方である。これにはふりがなが付けてない。と言うことは誰でも正しく読めると言うことだろう。これに「深緑(ふかみどり)」とか「深井(ふかい)」を加えたらこの三つの熟語の「深」は皆読み方が異なる。と言うことは、日本語の文章中の重要な部分である漢字の読み方が如何に難しいかということである。漱石の『三四郎』に次のような文章があった。

 

  「机の上を見ると、落第という字が見事に彫ってある。余程閑(ひま)に任せて仕上げたものと見えて、堅い樫の板を綺麗に切り込んだ手際は素人とは思われない。深刻(しんこく)の出来である。」

 

私はおやっと思って『広辞苑』を引いてみた。次のように説明してあった。

  

しんこく【深刻】

  • きわめて残忍なこと。
  • ㋐胸を打ち心に深くきざみつけられるさま「深刻な悩み」

㋑表現などが念入りに工夫されているさま「深刻な描写」

㋒切実で重大なさま「深刻な事態」

 

以上から見るとこの場合、漱石は「深刻」㋑と、実際に彫ってある、の両方を上手くこの熟語で表している。流石だと私は思った。

 

実は最近私はこの『宮本武蔵』と漱石の作品を読んでいるが、特に漱石は適当な漢字を持ってきて、これに相応しいふりがなを付けている。漢字だけでとてもそうとは読めないのが多くある。少し例をあげてみよう。

 

稜(ぴら)錐塔(みっど)  獅(すふ)身女(ひんくす)  該撒(しいざあ)  安圖(あんと)尼(にい)  

 

跪(かし)座(こま)る  胡座(あぐら)  繪畫(にしきえ)  倦怠(けだる)い  赤児(ねんね)  混雑紛(どさくさまぎれ)  駑癡(どぢ)

 

鬼灯(ほおずき)  軽侮(あなどり)  嘲弄(あざけり)  悪口(あくたい)  野卑(ぞんざい)  蜷局(とぐろ)  繽紛絡繹(ひんぷんらくえき)

 

明海(あかるみ)へ出る  躄(ひ)痕(び)が入る  御草臥(おくたびれ)なすった  豁達(はきはき)せぬ  逡巡(しりごみ)をする  辟易(ひる)む

 

漱石にしても英治にしても「ふりがな」をつけたように、読者に読んで欲しいのだと思う。その点英語など外国語は発音の仕方が難しくても辞書にあるとおりに読めばいい。この事を考えただけでも日本語は難しいと思う。然しこうしたことに興味を持って読めば日本語は面白いのでなかろうか。

ところが現在は、やたらにカタカナ文字が増えた。これには聊か閉口する。若い人は理解できるのだろうか。老人には無理だ。こんなのが出て果たして意味が分かるかと思う。

 

コンセンサスを得た (合意した)      アジェンダ (行動計画)

エビデンス (証拠)            スキーム (枠組み)

ペンデイング (保留)           キャパ  (能力)

 

以上の駄文を書いたのが2日前の7月18日である。そうすると今日は20が三つ並ぶ日だと思った。すなわち2020年7月20日だからだ。続けて書くと「2020720」となる。今日の午後十時二十分二十秒は、「2020・7・20・20・20・20」となる。このような日は滅多にない。

 

昨日次男の車で萩へ墓参りに行き、ついでに数カ所立ち寄った。その内の一ヵ所は、高校時代の友人の家である。彼は今年満九十歳で亡くなった。葬儀に出席出来なかったのでお悔やみかたがた焼香に行った。中学校に勤めていて真面目な男で、指月山の麓の運河の直ぐ側に住んでいた。十年以上にもなると思うが、ある日彼を訪ねたら一羽の青鷺が飛来して彼の家の庭にいた。彼の奥さんが小さな生魚を投げてやられたら、長い細い脚を動かしてつかつかとやってきて、長い首を地面に伸ばして、くくっと丸呑みした。

 

「あの鷺は最近よく来ます。私が鰺(あじ)を指月橋の上で釣っていると、貰おうと思って近づくのです。だんだん慣れてきて、今では私の手からで直接咥(くわ)えます。」

 

このように云って居られた。然し奥さんと私の友人以外は警戒して一定の距離を保って、決して間近までは来ない。いつぞや珍しいからとテレビで紹介されたと聞く。

 

昨日この青鷺が来ていて久し振りにその姿を見た。可なり年取った風に見えた。長い首の周りは以前はふさふさと白い毛で覆われていたと思うが、大部抜け落ちて窶(やつ)れた感じだった。それでも奥さんには餌を貰おうとして近づいていった。

 

「主人が亡くなって人が早々したので一週間ばかり姿を見せませんでしたが、それからまた来ます。一人になって淋しいですが、鷺が来てくれてありがたいです」

 

こう云って鷺の方に向かって「ごんちゃん。おいで」と言われると、近づくのであった。

「ごんちゃん」は奥さんが名づけた呼び名である。私も「ごんちゃん、おいで」と云って、提げていたカメラを向けた。奥さんと鷺が向き合った良い写真が撮れた。

 

生きとし生けるもの皆気持ちが通ずると私は思う。たとえ小さな小鳥でも懐(なつ)くのだ。このような割と大きい鳥となると、人の気持ちが分かるのだろう。だから動物の虐待はしてはいけない。例えば魚釣りでも単なるレジャーで行うのはどうかと思う。

私が教師になったころだからもう六十年以上も前だが、アフリカの原始林で黒人の患者の救済に生涯を捧げたシュバイツアーが、自分の思想を纏めて『生への畏敬』という本を出版された。私はそれを読んで生徒達によく話した。私はその後『THE WORLD OF ALBERT  SCHWEITZER』とうい写真集を買って見てみた。エリカ・アンダーソンというアメリカの女性の写真家が撮ったもので、中々立派な本だった。

久し振りに本棚から取りだして見てみると、シュバイツアー博士のクリスマスのメッセージの写真があった。博士が病院の職員や患者並びにその家族たちに向かって話して居られる手前に、二羽のペリカンが謹聴して居る写真である。アンダーソン女史は次のように書いている。

「シュバイツアー博士のクリスマス・メッセージは、人々のみならず鳥たちからも尊敬の念を以て耳を傾けられた。」

外に、病院のある近くの船着き場に大きな椰子の木があり、その側に白いヘルメットをかぶった博士が立っていて、近くの水際に数羽のペリカンが首を伸ばして、水中に嘴を突っ込んでいる写真があった。原始林では人間を始めとして全ての生き物が共存して居るように思える良い写真だ。もう一枚は博士が仕事机に向かって何か読んで居られるその机の上に、可愛い子猫がその読み物をのぞき込んでいるような写真である。

まだ外にも、博士の腕の上に小さな蜥蜴のようなものがいたり、博士が足首に包帯を巻いた子鹿をいたわっておられる写真など。これらの写真の説明として次の言葉があった。

 

「それは私には全く不可解な事でした。―これは私が学校へ行き始める前でした―

何故私の夕べの祈りで、人間に対してのみ祈らなければならないのか。そこで母が私と一緒にお祈りを終えてお休みのキスを私にしてくれた後、私は全ての生き物にたいして、私自身が創作したお祈りを静かに付け加えました。それはこのようなものです:

『おお、天なる父よ。命ある全てのものを保護し祝福してください。全ての悪から彼らを守り彼らを安らかに憩わせて下さい。』」

 

また博士がこんなことを言って居られたのを読んだ覚えがある。

 

「私は腕に止まった蚊でも叩きつぶさないでそっと逃がしてやる」

 

さすがに「密林の聖者」と言われ、ノーベル賞を受賞されるに値する偉大な人物だったとつくづく思うのである。しかし今はシュバイツアーと誰も言わなくなった。何故なら彼の「白人は兄、黒人は弟。兄である白人は未熟な黒人の世話をする立場にある」という言葉を、「上からの目線で、黒人を蔑視している。人類は全く平等であるべきだ」という左翼共産主義的な考えが主流となった現在では、過去の人として葬り去られたように思う。

たしかに時代の流れと共に考えは変わっていくが、シュバイツアーの時代だけではなく、今でも彼の人類愛の精神は受け継がれるべきだと思う。

最近「ブラック ライヴズ マター」といって、アフリカ系アメリカ人に対する警察の虐待行為に抗議して、非暴力的な市民的不服従を唱える組織的な運動がアメリカで広がっているが、シュバイツアーの人類愛の精神は、こう言った運動の対象には決してならないと私は思う。彼らはチベットウイグル地区での非人道的な暴虐行為には目を向けようとはしない。これは誰が考えても納得できないことである。真の意味での人類平等の考えに基づいて行動したら、彼らの行動は始めて多くの人の認めるところとなるであろう。

 

                         2020・7・20 記す