エッセイ集
その一 小さな英雄 来年のNHK大河ドラマ『花燃ゆ』との関連か、運動場の整備などしているここ萩市立明倫尋常高等小学校は、旧萩藩「明倫館」の跡地に建てられたもので、木造二階建の本館棟と並行して、同じような三棟の校舎が堂々と立ち並んでいる。二〇…
昨年、台風一過の秋晴れの日に、老人夫婦三組で長湯温泉を訪れた。大分県の豊後竹田駅から少し北に入ったところである。この温泉は世界屈指の炭酸泉である。近頃は、偽証・偽造・偽装といった嘘がまかり通る世の中だが、ここは名実相伴っていた。 竹田駅に着…
ほとんど毎朝、私が食卓に向かって朝食を食べ始める前後に、どこからともなく一羽の鳩が飛んできて、硝子窓の外の褐色のレンガを敷いたベランダに姿を見せる。数羽の雀も殆ど同時にやってくる。必ずと云って良いほどやって来る。その理由は私が玄米を撒いてや…
昨日5月1日に3回も外に出た。平生なら別に取り立てて言うべきことではないが、コロナ感染を警戒して「不要不急」の外出はなるべく控えるようにと言われている最中だから、我ながら出過ぎたかなと思う。 いつものように早く目が醒めたので4時半だから直ぐ起き…
一 人との出会い、事物との触れあいが多いほど、人生は豊かになると言えよう。漱石は50年足らずの生涯で、多くの良き友人や弟子に恵まれている。また数多くの事物に興味を抱き、真剣に取り組んでもいる。中でも俳句は正岡子規と知り合いになり、その後イギ…
もう二十年以上過ぎた。平成十年九月に萩市から山口市に転居した時は、自分がこんなに長生きするとは思いもしていない。又妻が私を残して死ぬなどと考えてもみなかった。さらに云えば高校の同級生をはじめとして、友人知人の大半が鬼籍に入ることも全く念頭…
神戸在住の知人から『随感』と題した文章と、それに添えて半切の便箋に書かれた手紙が来た。この便箋にはエル・グレコの宗教画が印刷されてあった。以前にも同じ便箋が使われていたので、私は彼が此の宗教画家エル・グレコに関心があるのかと訊ねたら、メー…
吉川英治の『宮本武蔵』を読んでいたらこんな文章があった。 「深夜である。深山である。真っ暗な風の中を、驀(まつ)しぐらに駆けてゆく白い足と、うしろの流れる髪の毛とは、魔性(ましょう)の猫族(びょうぞく)でなくて何であろう。」 私が気がついたのは、…
一 平成十年の夏、私は先祖代々住んできた萩市を後にして山口市に居を移した。その時古い桐箱を持ってきた。箱はすっかり変色して黒ずんでいた。箱蓋の右上に紙が貼ってあり、「梅屋七兵衛 毛利家御用にて長崎下向ノ一件書類 願書併勤功書」と墨書してある。…
数日前から読んでいる漱石の『門』を今日で読み終わろうと思って、目が醒めたのが四時半だったが、洗顔の後直ぐに机に向かった。主人公の宗助が鎌倉の禅寺へ行ったときの様子が書いてある。これは漱石自身の若いときの体験が基になっているようだ。こんな描写…
私がほとんど毎日散歩する小道に沿って、清らかな水の流れている1メートル幅の細い溝がある。山口市には大きい川はないが三方面を山で囲まれているために、蛍で有名な「一の坂川」や、私が今住んでいる吉敷の地区を流れる「吉敷川」といった、やや大きい川…
今朝目が醒めたのは5時10分前だった。私はいつも9時を過ぎたら床に入るが、起きるのはやや不規則で、目が醒めた時点で床を出ることにしている。3時過ぎに起きることも時にはあるが、4時半前後に目が醒める事が多い。6時まで寝ていることはまずない。 …
今年一月二十七日、未明に目が覚めた。洗顔の後R・Hブライス教授の『HAIKU』(北星堂書店)をしばらく読む。夜も明けたようなので窓を開けると、戸外の冷たい空気が肌を刺した。夜間音もなく降った雪が家々の屋根に深々と積もっている。純白、清浄、静まりか…
寒梅という言葉がある。馥郁たる芳香を放ち、寒い冬空に凜として立つ梅の木は美しい。特に古木となると中々趣のある姿を呈する。「臥(が)龍(りよう)梅(ばい)」という梅の品種もあるようだ。まさに大きな龍が体を捻らせて横臥して居るようである。 「春入千林…
昭和四十一年に岩波書店から『漱石全集 全十八巻』が発刊されたとき、私は直ぐに注文して手に入れた。あれからもう五十年以上時が経った。各巻はずっしりと重い。しかし活字が大きいので老人になった今は読みやすい。妻も漱石を愛読していて、軽くて便利だと…
妻が生きていた時「包丁がよく切れないから研いでおくれ」と時々言ったので、外の流しの下に置いている荒砥(あらと)と中砥(なかと)の二つ砥石を台所の流しへ持ってきて、水道の栓を絞って水がわずかに滴るくらいにしてよく研いでいた。 今朝オクラとピーマン…
閑楽庵主人 一昨日は夜中に目が醒めた。時計をみたら一時だった。それから一時(いっとき)眠れないで結局三時頃まで起きていた。その後うとうととしていていたら目覚ましが鳴った。知らぬ間に二時間ばかり寝ていたのだろう。やや寝不足の感はあったが五時だか…
「無為」という漢字を辞典でみてみると、「無為自然」とか「無為にして化す」という言葉が先ず出てくる。これは「自然にまかせて、作為するところのないこと」と説明してある。これらは良い意味である。ところが「無為徒食」となると、「何の仕事もしないで…
今日は八月三日、まだ盆前の週であるが、毎年この日に萩のお寺から盆のお参りに来られることになっているので、昨日からその準備だけはしておいた。今日は若い息子さんが代理で見えた。その少し前に下関に居住している私の長男が帰った。何かしら大きな紙包…
『平家物語』にある「敦盛最期」は何とも哀しい情景を描いている。敦盛の「ただとくとく頸をとれ」という言葉にうながされ「なくなく頸をかいた」熊谷次郎直実の心中はさぞかしと想像される。 「あはれ、弓矢とる身ほど口惜かりけるものはなし、武芸の家に生…
私は雨がひどい時を除いて殆ど毎日散歩に出かける。我が家のすぐ近くの二車線の道路を横断し、「マックスバリュー」というスーパーの横を真っ直ぐ行ったところにある「六地蔵」を拝んで帰るのである。道の突き当たりがその六地蔵のある丘陵地で、そこまでの道…
漱石の『行人』を読んでいたら「蟇」という字が出て来た。これは「ヒキ」とも言うが我々は「ガマ」と普通言っている。最近この大きなヒキガエルを目にしない。萩に居たとき、それもまだ父が生きていて、私が小学生の頃だからもう80年近く前になる。毎年夏…
私は先月妻の一周忌の法要を済ませた後、『漱石全集』の全巻をできる限り読もうと心に決めて、「第一巻」の『吾輩は猫である』から読み始めた。漱石は『猫』を日露戦争の最中に「ホトトギス」に連載し始め、続いて数々の小説や随筆を書くにつれて、圧倒的な人…
「オクラ」と聞いたら先ず何を連想するだろうか。万葉集の歌人山上憶良(やまのうえのおくら)を頭に描く人は、ある程度の教養を身につけた御仁(ごじん)かも知れない。彼の「子等を思う歌」は昔教科書に出ていた。その一部をあげてみよう。 瓜食(は)めば子ども…
大橋良介著『西田幾多郎』(ミネルヴァ書房)を読んでいたらこんな文章があった。 「散歩」は誰でもする平凡な行動である。いちおう、そう言えるであろう。しかし、そう自明的にいつでもできる行動ではない。たとえば生まれて、呼吸して、死ぬことは、生を享…
昨晩は早くも八時半に眠気を催した。風呂から上がってマッサージ器具に掛かっていたら、ついうとうとしたので、これはいけないと思ったので、まだ九時前だったが床を敷いて横になった。それからすぐ寝入ったのか、今朝眼が醒めたのは丁度三時だった。トイレ…
長編小説や固い本を読む気にならないので、久し振りに漱石の『永日小品』を書棚から取り出して読むことにした。昔読んで大筋を覚えているのもあるが、初めて目にするものもある。筋だけ追ったのでは読んだという事にはならないと思って、今回は一語一語に多…
昭和三十九年四月、私は前任校に三カ年勤めただけで母校の萩高校に転勤した。その少し前、父が脳卒中で倒れたからである。左半身が麻痺し、ものもはっきりとは言えなくなった。一カ月ほど安静にしていたら幸いにも回復できた。発症した時たまたま家で寝てい…
まず写真を見ていただこう。左側の皿は直径十六センチの陶器で、鳥の絵と「言問」の二字が書いてある。恐らく私の祖父か曾祖父が明治の初めかそれより前に、江戸か京都で手に入れたものであろう。いずれも多少絵柄は異なるが大体同じような鳥の略画と外にこ…
一 夜中の二時過ぎにトイレに行き寝床に戻ったが眠れないので、電子書籍で『私本・太平記』を読んだ。吉川英治のこの作品によって、足利尊氏と、『新・平家物語』に出てくる平清盛が、正当に評価される大きなきっかけになったと言われている。我々が戦前に小…