yama1931’s blog

長編小説とエッセイ集です。小説は、明治から昭和の終戦時まで、寒村の医療に生涯をささげた萩市(山口県)出身の村医師・緒方惟芳と彼を取り巻く人たちの生き様を実際の資料とフィクションを交えながら書き上げたものです。エッセイは、不定期に少しずつアップしていきます。感想をいただけるとありがたいです。【キーワード】「日露戦争」「看護兵」「軍隊手帳」 「陸軍看護兵」「看護兵」「軍隊手帳」「硫黄島」        ※ご感想や質問等は次のメールアドレスへお寄せください。yama1931taka@yahoo.co.jp

エッセイ集

水温(ぬる)む

昨晩は入浴後直ぐに床に入った。今朝眼が醒めたのは五時半だった。九時前に寝たから八時間半も寝たことになる。朝早いので少し肌寒いので暖房を付けた。 先月の二十八日に読んでそのままにしていた中西進の『万葉集原論』(講談社学術文庫)を、また開いて読…

昭和の一桁

今マスコミの最大の話題は、オリンピック組織委員会委員長の森氏の発言に関する事であろう。元総理であった森氏は、以前「神国日本」の発言で、マスコミに叩かれて総理の座を下ろされた。私が子供の頃は、2月11日は紀元節といって、学校では式典があって、…

夏草や

午前4時に眼が覚めた。昨夜は9時過ぎに床に入ったから睡眠は充分とれている。トイレに行き居間の暖房をつけてまた横になった。しかしもう寝むれそうにない。床の中であれこれ考えているうちに時間が過ぎた。時計を見たら5時前なので起きることにした。居…

斜陽に立つ

一 中国文学者・目加田誠氏の自伝ともいえる『夕陽限り無く好し』を、『風響樹』の同人の多田さんが、わざわざ郵送してくださったので私は一気に読んだ。私はこれを読んで、世の中にはこのような不幸な人もいるのかと思うと同時に、数多くの不幸や逆境にも耐…

雑詠

葉も枝も隠すがごとく咲き誇る白蓮の花散り敷けるなり 花散りて若葉装(よそ)える白蓮の根元に咲ける一輪の花 週に二度指圧に通う道すがら種々なる花の目を楽します 田圃道名もなき花に目を留めてしばし佇みじっと見つめる 名も知らぬ咲き乱れたる草花の春の…

光は直進する

一 四時前に目が醒めた。トイレに行き、起きるには少し早いと思ったのでまた床に入った。しかし睡眠は十分足りているのでもう眠れそうにない。床の中であれこれ考えていたが思いきって起きた。五時十分前だった。洗顔の後「さて今日から何を読もうか」と思っ…

故人無からん

目が覚めたのは四時半だった。思い切って起きた。顔を洗いすぐ食卓について、今月初めから読んでいる唐木順三の『鷗外の精神』を広げた。その中に「他郷で故人に逢う」という言葉があった。「故人を偲ぶ」という言葉はよく耳にする。先日も長男の嫁の父親の…

転居始末記

昭和三十九年四月、私は県立宇部高校に三カ年勤めただけで母校の萩高校に転勤した。それより少し前に父が脳卒中で突然倒れたので、一人息子の私としては帰らざるを得なかった。その後父は家で静かに臥ていたが、左半身麻痺に罹り手足が動かず、ものも言えな…

犬を連れて

一 二日前の朝の散歩の途中、真っ白い小さな二匹の犬を連れている女性を見かけた。通り過ぎかけたが振り向いて、「可愛い犬ですね。何歳ですか?写真を撮らせてもらえませんか?」と話しかけたら、愛想よく、「三歳です。どうぞ」と言って応じてくれたので、持…

 転(うたた)荒涼(こうりょう)

久し振りに友人が午後2時に話しに来るというので、午後の散歩を正午前に済ませておこうと思って家を出た。今日は何時ものコースより少し遠回りをして、湯田カントリ・クラブヘの道を選んで、六地蔵のある丘に向かって歩いた。陽は射していたが風はかなり冷た…

独居漫談

私は入浴を隔日に決めている。昨晩入浴したお蔭だろう、ぐっすり寝ることができた。目が醒めたので時計を見たら5時10分前、すぐ起きて洗顔し、机に向かって昨日読みかけたが、どうしても理解ができずに止めていた『文学論』をまた開いた。實は数日前に町…

人災と天災

私は隔日に入浴している。昨夜9時前に風呂から上がり、就寝の時間だから床を敷いて横になったと思ったらすぐ寝入った。2時頃目が醒めたら浴室の脱衣場が異常に明るい。電気ストーブをつけたままにしていた事に気が付いた。直ぐ起きてスイッチを切り、トイ…

恩を受ける

一 私が大学を出て最初に赴任したのは県立小野田高校である。昭和三十年のその当時は、教員採用試験というものはなかった。私の場合、主任教授の岡崎虎雄先生が、かって旧制山口高校時代の同僚だった小川五郎校長に話をしてくださったので就職できたのである…

恩を知る

1 「忘恩の徒」という言葉を昔はよく耳にしていた。日本人は子供の時から「恩を忘れるな」とか「嘘をつくな」と言い聞かされていたように思う。封建時代の名残だとも思われるが、やはり人間としてこのことは大事ではなかろうか。名利のためなら以前受けた恩…

海行かば 水漬く屍

今朝目が醒めたのは六時十五分前だった。最近は夜中の一時頃よくトイレに行くから、朝起き上がるのがどうも遅くなる。洗顔の後昨日から読み始めた瀬沼茂樹の『夏目漱石』を続けて読んだ。漱石の誕生から英国へ留学して帰国した頃迄だが、実に的確に良く書かれ…

擬・徒然草 雨の朝

去る七月十三日はしとしとと雨が降った。亡くなった妻の「四十九日の法要」を行ったが、いわゆる「涙雨」と言うべき天候であった。東京、滋賀、大阪からも親族縁者が参列して呉れて有難かった。その後の「セント・コア」ホテルでの会食も無事に終わりこれで…

生と死と

山口市内には、私が知っているだけでも、書店が大手スーパー内にあるのを含めて6軒ある。しかし私が時々行くのは、山口大学の構内正面入口の直ぐ近くにある「文栄堂」という書店である。昨日そこへ出かけた。急にどうしても行こうという気になった。車でな…

ONLY ONCE (唯一度)

一 妻は毎年3年連続の日記をつけていた。いつも同じ「高橋の3年日記」で、正式名は『2019-2021 THREE YEARS DIARY』である。妻は2019年の5月27日に旅先で急逝した。5月25日(土)に最後の記載をしている。従って2年半以上は空白のペー…

マスコミと学説

一 梅原猛氏の『隠された十字架 法隆寺論』を読んだ。法隆寺は再建されたのだ、ということは戦後になって立証された。なぜ再建されたか。この事について梅原氏は、聖徳太子ならびに太子一族を殺した藤原氏に対する太子たちの怨念を、封じ込めるのが最大の目…

ソフトボール

孫娘が今年中学一年生になり、クラブ活動にソフトボール部を選んだ、と息子が電話してくれた。この子は戸外での活動が大好きのようだ。始めテニス部に入ろうかなと言っていたらしいが、結局ソフトボール部に決めたようだ。土・日も午前中練習があるようで、…

かなし

一 主人が買って読んでいたと言って先輩の奥さんが、梯(かけはし)久美子著『散るぞ悲しき』(新潮文庫)を持ってきて貸して下さった。私はこの本が出版された事は知っていたが、未だ読んでいなかったので興味を持って読み終えた。著者が本の題名として選んだ「…

冬日の想い

朝起きて窓のカーテンを開けて外を見ると、夜間の寒さに何とか耐えたかのように、菜園に植えてあるチシャやエンドウ豆の蔓と葉が萎れた姿でぐったりしていた。私はもうかれこれ2週間になるが、ヘルペスの痛みが完治しないので、午前中は一歩も外に出ないで…

Godiva(ゴダイヴァ) 夫人

漱石の『明暗』を先日やっと読み終えた。以前にも2回ほど読んでいるが、今回この作品が漱石の最高傑作だと評されている訳が判ったように思う。漱石は『明暗』を書く前に、次から次と作品を発表している。逆に並べたら、絶筆となった『明暗』が最初に『朝日…

以心伝心

「以心伝心」を『広辞苑』で見ると、①禅家で、言語で表されない真理を師から弟子に伝えること。②思うことが言葉によらず、互いの心から伝わること。と書いてある。 私は此の事に似た事をこれまで二度ばかり経験した。これはあくまでも人間同士のことである。…

惜しむ可し

天気予報によれば「明朝は相当冷え込」とのことで、覚悟して昨夜床に就いた。今朝目が醒めたのは丁度4時だった。室内の寒暖計は10度を示していた。確かに寒さを感じた。昨日一昨日と続けて、起きたとき室内は17度もあったからである。戸を開けて外を見た…

漱石雑感

明治26年7月、漱石は帝国大学文科大学英文科を卒業するとすぐに大学院に入った。その年の10月に東京高等師範学校英語嘱託教師になっている。翌27年2月の初め、肺結核の徴候を認めて療養に努め、その時弓道を習う。彼は相当真剣に弓の稽古をしたよう…

落ち葉

今年も今日で終わり、明日から師走に入る。十二月は極月(ごくげつ)ともいう。居間の柱に掛けてあるカレンダーに目をやった。毎年萩のお寺から壁掛け用の細長いこのカレンダーをもらう。月毎にふさわしい気の利いた言葉や俳句などが書かれていて、それに英訳…

氷柱(つらら)

「天気予報」の予告通り、7日の朝起きて外を見たら前日と打って変わり、雪が降りしきり一面の銀世界だった。従って7日・8日と戸外には全く出ずに家の中に籠居していた。朝の8時に庭の石地蔵を拝もうと出てみたら、雪は全く解けずに地蔵様の上にも10セ…

今年最後の日曜日

暦を見るまでもないが、今日12月27日は今年最後の日曜である。暦には「大安」と書いてあった。何か良いことでもあるかなと思った。これより数時間前、夜中と云っても午前3時に目が醒めたので、トイレに行きまだ起きるのは早いので又床に入った。眠れそう…

死に臨んで

令和二年の秋のある日、萩市の南端に位置する木間(こま)という山間部で、窯を築いて萩焼茶碗を作っていた友人から、何だか重い段ボール箱が送られて来た。開けて見ると中に九箇のマーマレードの缶詰と三冊の筺入りのしっかりした本と、筺に入っていない古ぼけ…