yama1931’s blog

長編小説とエッセイ集です。小説は、明治から昭和の終戦時まで、寒村の医療に生涯をささげた萩市(山口県)出身の村医師・緒方惟芳と彼を取り巻く人たちの生き様を実際の資料とフィクションを交えながら書き上げたものです。エッセイは、不定期に少しずつアップしていきます。感想をいただけるとありがたいです。【キーワード】「日露戦争」「看護兵」「軍隊手帳」 「陸軍看護兵」「看護兵」「軍隊手帳」「硫黄島」        ※ご感想や質問等は次のメールアドレスへお寄せください。yama1931taka@yahoo.co.jp

 連休に猛烈な台風十九号の襲来が予告されている。前回の台風十五号より規模が大きいとのことで、進行方向の右側は又甚大な被害が生ずるのではなかろうか。幸いにも山口県を避けているようだ。しかし備えをするようにテレビでは警告を流している。このために新幹線が不通になることを考えて十三日の納骨は取り止めた。
台風が来るのはまだ数日先のことだから今朝など雲一つない快晴。猫の額ほどの狭いところに葉野菜を植えているのが、日照り続きだから水をやろうと思ってホースを手にして水をかけたら、その水が小さな半円の弧となり虹色に輝くではないか。私はこの現象に目を見張った。水を止めれば勿論直ちに虹は消える。水を出すと今度は二重の虹が生じた。これは珍しい現象だと思い、カメラを持ってきて片手にホースから水を出し、一方の手でシャッターを切って虹を写してみた。
 外側から赤・橙・黄・緑・青・藍・紫の七色にはっきりと見えた。そのときふと私は思った。何故「虹」と云う字は「虫偏」なのかと。そこで撒水を済ますと二階へ上がって漢和辞典を引いてみた。すると「にじ」と云う漢字は「虹」の外に幾つかあるということを知った。まず「虹」の説明にはこうあった。
 
 「虫」は大蛇のこと。「工」はつらぬくこと。従って天空を貫く大蛇に見立てた呼び名。
 「霓」と「蜺」も「にじ」を意味し、「昔、にじにも雌雄があると考え、雄を「虹」雌を「蜺」または「霓」といった。

昔の人が、[虹]を天空を貫いて輝く蛇のように見立てたのには驚いた。英語は平凡に
RAINBOW(雨の弓)で誰にも頷ける。
ここで私は又「雌雄」という言葉について一寸気になった。不通「男女」とか「夫婦」と云った語順で「オトコ」が先に来るのに何故「雌雄」では逆になって居るのかと。これは人間以外の生物の場合、何と云っても「メス」が生殖の主体だからだろうと思った。
 こうした愚にもつかない事を考えたが、「虹」と云えばどうしてもワズワースの有名な詩を思い出す。

My heart leaps up when I behold
A rainbow in the sky:
So was it when my life began,
So is it now I am a man,
So be it when I shall grow old
Or let me die!
The child is father of the Man;
And I could wish my days to be
Bound each to each by natural piety.

空の虹を見ると 
私の心は踊り立つ、
子供の時分にそうだった、
大人になった今でもそうだ、
老人になってもそうありたいものだー
そうでなかったら私は死ぬ。
子供こそは大人の親だ 
そうして私は生涯一貫して
親に對にする本然の尊敬心の如き尊敬心を子供に對して
持っていたいものだと思う。
            山宮 允著『英詩詳釋』

 この最後の二行がワズワースの虹を見ての感想の主眼だろうが、純真無垢の童心を彼は何時までも持っていたいとは流石だ。
 
 子供に罪はない。ところが最近幼児虐待と云ったとても考えられないような事件が頻繁に起こっている。「出来ちゃった結婚」で結婚後すぐ離婚し、女性は暮らしていけないから又別の男性と一緒になる。そうすると新しい夫は前の男性の子供が邪魔になる。その子は当然なついてくれない。その結果虐待という仕打ちになってしまう。
 今は少子高齢化と云われている。若い者が中々結婚しないし、しても生活に追われて出産を控える。この傾向は今後まだ進むかも知れない。昔は仲人という者がいて双方の家に相応しい相手を心配して居たが、今はそういったものがなくなった。その為につい一目惚れで結婚しても直ぐ熱が冷め、子供が生まれるとその子の運命は不幸になることが多い。
 明治の『教育勅語』を戦後悪の根源のように排斥して来たが、そこに書かれている親孝行とか兄弟仲良くし、夫婦相和す事は人間として一番大事なことだと思う。

それにしても天然の色彩は実に美しい。豊旗雲とか茜色の夕空など実に美しい。今朝の撒水という何気ない動作の中に、こうした自然現象を発見したのは良いが、愚痴に終わってしまった。もう一度虹の写真を見てみよう。
                         2019・10・10 記す