yama1931’s blog

長編小説とエッセイ集です。小説は、明治から昭和の終戦時まで、寒村の医療に生涯をささげた萩市(山口県)出身の村医師・緒方惟芳と彼を取り巻く人たちの生き様を実際の資料とフィクションを交えながら書き上げたものです。エッセイは、不定期に少しずつアップしていきます。感想をいただけるとありがたいです。【キーワード】「日露戦争」「看護兵」「軍隊手帳」 「陸軍看護兵」「看護兵」「軍隊手帳」「硫黄島」        ※ご感想や質問等は次のメールアドレスへお寄せください。yama1931taka@yahoo.co.jp

犬を連れて

 

    

                   一

二日前の朝の散歩の途中、真っ白い小さな二匹の犬を連れている女性を見かけた。通り過ぎかけたが振り向いて、「可愛い犬ですね。何歳ですか?写真を撮らせてもらえませんか?」と話しかけたら、愛想よく、「三歳です。どうぞ」と言って応じてくれたので、持参のスマホで犬を中心に撮って、「ありがとう」と言ってその場を去った。

 

帰ってパソコンの操作をしたところ、動画になっていて二匹の内の一匹が動き回っていて、絶えず私の方に近づこうとしていて、彼女がそれをなだめる様子が写っていた。出し抜けに話しかけたこともあって、詳しく犬のことを訊かなかったが、ひょっとしたら落ち着きのないのは、雄だったかも知れない。

 

私は電子機器の扱いは苦手である。幸いに次男がこういったことに知識があって、十数年前彼がイギリスに留学するに当たり、電話連絡では大変だからと言ってパソコンを買ってくれた。その後今度はスマホを買ってくれて、その操作を教えて呉れた。お蔭で私はこれで電話のやりとりと、写真を摂る機能としてだけに利用している。便利なものでスマホで撮った画面が、知らないうちにパソコンに入っていて、直ぐ見ることが出来る。これには驚いた。この歳になってこうした機器を多少なりとも扱うことが出来て非常に有り難く思っている。唯漫然とテレビの番しかできない老人が多いようだから。

 

こうして先の犬の写真が動画になっていたので、印画紙がなかったので普通紙に写して、その女性に会ったら差し上げようと思って今朝また散歩に出かけたら、先日とほぼ同じ場所で彼女に会った。そこで写真を上げて「動画になっていたので、もし見ようと思われたらこのメールアドレスに連絡して下さい」と言って別れた。彼女は笑顔で「ありがとうございました」と礼を言ってくれた。

 

朝の散歩には犬を連れた人に何人も出合うが、こうして写真を摂らして貰う気になったのはこの女性だけである。何と云っても仔犬が可愛かったからだ。彼女と別れての帰りに珍しいことに二匹の猫を見かけた。それぞれ違った場所だが、何れも飼い猫だろうスマホを向けても逃げようとはしなかった。猫を連れて散歩する人には出合わないが、以前に一人だけ飼い猫に首輪をつけて紐をもって一緒に歩いている男性を見かけたことがある。彼はその直ぐ近くに住んでいるようだ。流石に猫を連れての遠歩きは無理だろう。

 

外国では虎をこうして連れ歩いていている者もおるようだが、余程飼い慣らしたもの

だろう。人によって犬好きと猫好きとに別れるようである。家内は猫の方が良いと言っていた。理由は犬がじゃれつくのが嫌だと言っていた。私なんか犬も猫も好きだが、飼う気にはならない。最大の理由は、今飼っても恐らく私の方が早く死ぬだろうから、残った犬にしても猫にしても可愛そうである。おまけに毎日の食事や糞尿の世話、更に病気になった時のことなどを考えたら無理である。

 

 私の所へ時々話しに来られる元大学の先生は、昔から猫との生活を続けておられる。先生が夜床に入られたら、必ず同じ床に入ってきて一緒に寝るとか。当に猫と一心同体と云っても良いような生活だ。

 

戦後、動物愛護と言うことが声高に言われるようになった。デパートや大きいスーパーへ行けば飼育動物のフードコーナーがある。更に驚いたことに、彼等が死んだときに火葬して供養すると言ったこともあると聞いている。犬猫とは云え、大切な家族の一員である。 

 

アフリカでは飢餓に困った子供がいると言うのに、一方では贅沢な犬や猫がいるとか。食べ物のなかった戦時中を思うと、動物愛護も聊か度を越しているように思われる。                       

 

               二

 

散歩から帰りいつものように野菜に水をやって家の中に入り、上記の文章を八時頃まで書いた。一先ず書き終えたのでまず神棚の榊の水を替え、次に仏間へ入ったら何かしら「ざわざわ」と雨が降るような音がする。先ほど歩いて来たから分かるが晴天で降雨の心配はない。そう思いながら仏間を後にして外に出た。先ず体操をして次に木刀の素振りを三十三回した。回数は大体この通りである。引き続いて庭に据えてある石の地蔵を拝もうと思って、家屋の橫へ廻っていったら驚いた。水道の蛇口から噴水のように水が吹き出ていた。散歩から帰って石地蔵の傍にある小粒のトマトに水をやったとき、水道の栓を閉め忘れたのだ。

 

二時間ばかり水が放出された事になる。一年ばかり前にもこれと同じ失敗をした。前回は一晩中だったので水道料金が嵩んでいたので、二度と繰り返してはいけないと思い、この水道栓の傍に張り紙をして気を付けていたのだが、いつの間にか其の張り紙がなくなり再び失敗した。人間が馬鹿か賢いかは、物事を慎重にするかどうかで判断することが出来る。此の點を考えると我ながら賢明とはとても言えない。もう二度とこうしたことの無いように肝に銘じなければいけない。

 

この時私はふと次のことを思った。「火災で消防車がやって来て消火に当たった時、莫大な量の水を使用するだろう。その時の水道料金はどうなるか」

私はネットを開けてみた。このネットは実に便利である。私が疑問に思うようなことは何でも回答してくれる。次のように載っていた。

 

「水道法第24條で、水道事業者は、公共の消防用として使用された水の料金を徴収することはできない」

参考までに、毎分2000リットルの放水能力を誇る消防車が30分間放水するとお風呂240杯分で2万円かかる。水道局か消火庁が支払う。

 

それにしても毎年多くの火災が起きている。その時の消火のための水の使用は莫大な量に達するだろう。しかし噴水で洪水になるような事はなかろうが、火災は大きな惨事に発展する。「火の用心」だけは忘れる事なく、これからの独身生活を慎重に送らなければいけない、と今月の終わりに当たり改めて思った。

 

                      2021・7・31 記す