yama1931’s blog

長編小説とエッセイ集です。小説は、明治から昭和の終戦時まで、寒村の医療に生涯をささげた萩市(山口県)出身の村医師・緒方惟芳と彼を取り巻く人たちの生き様を実際の資料とフィクションを交えながら書き上げたものです。エッセイは、不定期に少しずつアップしていきます。感想をいただけるとありがたいです。【キーワード】「日露戦争」「看護兵」「軍隊手帳」 「陸軍看護兵」「看護兵」「軍隊手帳」「硫黄島」※ご感想や質問等は次のメールアドレスへお寄せください。yama1931taka@yahoo.co.jp

2024-01-01から1年間の記事一覧

挽歌

挽歌 昨日(きのう)まで語りし妻の姿消え 無常ということひしと感ぜり 1 無常とは誰もが口にするけれど 容易に実感し難きことぞ 絶対に言葉を交わすことなきを 死の現実と知るぞ悲しき 寝たきりにならずに逝ける妻なれば これも良きかと独り慰む これからは…

納骨

妻の納骨を十月十三日と決め、その日から二週間ばかり前に萩へ行きお寺とも打ち合わせをし、伊勢島の石屋にも会って当日までに戒名などを彫って貰うようにした。さらに行事の後の食事にと、市内の三つの食事処を廻ってみたがいずれも予約で一杯だと言って断…

連休に猛烈な台風十九号の襲来が予告されている。前回の台風十五号より規模が大きいとのことで、進行方向の右側は又甚大な被害が生ずるのではなかろうか。幸いにも山口県を避けているようだ。しかし備えをするようにテレビでは警告を流している。このために…

都鳥

私は毎朝五時前後に起きる。目覚まし時計をセットはしないが、夜九時には床に就くので七時間は熟睡したことになる。従って睡眠時間は充分足りているから、起きたとき頭はすっきりしている。まあそうは言っても頭が回転するのは朝食迄くらいだろう。起きたら直…

「調子」という言葉

幼いと云っても中々馬鹿にならない。もうすぐ1年生になる孫娘が、家内にしかられて咄嗟に言った言葉には思わず吹き出した。 「笑瑠(えみる)、また、そんなことをして」との家内の叱声に間髪を入れず、 「あ、調子に乗った」と、上手く受け答えたのである。 …

朝の一服

目が醒めたのは午前三時。まだ起き上がるには早いと思い、用便を済ませて又床に入った。やはり床の中は暖かい。しかしもう眠気はない。床の中で亡妻の事をあれこれと考えたりしてしばらくの後、やはり起きようと思って灯を点けて時計を見ると、針は四時前を…

孫の世話

土曜日は何時もの如く萩のお寺から坊さんが来られる日である。「一度だけは手を合わせたく思いまして」といって、姿を見せたのはお寺の長男だった。檀那寺には息子さんが2人とも僧侶の資格を得ている。お経が終わるとこの若い坊さんはニコニコ顔を見せなが…

早醒

このところ朝早く目が醒める。「早醒」という字句があるかと思って『廣漢和辭典』を引いてみたが見当たらない。しかし驚いたことに「そうせい」と読む語彙がこの辞典に丁度40ほど載っていた。これらの語彙を見ただけでは意味不明なのが多い。これには驚き恥…

北陸路の旅

その一 西田幾多郎記念哲学館 西田幾多郎と鈴木大拙の記念館がいずれも北陸にあるというので、是非訪れて見たいと思っていたところ、林さんが我が家に来たときそれとなく打診したら、直ぐ行こうと云ってくれたのは有難かった。彼は地理が専門だから何処へ行…

車馬の喧(かまびす)しきなし

陶淵明の『飲酒 二十首并序』の「其の五」に有名な詩がある。 盧を結びて人境に在り 而かも車馬の喧(かまびす)しきなし 君に問う 何ぞ能(よ)く爾(しか)るやと 心遠ければ地も自ずから偏なり 菊を采(と)る 東籬(とうり)の下(もと) 悠然として南山を見る 山気(…

成道会(じょうどうえ)

「成道会」と云っても殆どの人はその意味が分からないと思う。今日は12月9日で日曜である。私はある決意を以て山口市内にある禅寺に向かった。昨日から急に寒くなり、今朝の気温は零度に近い。身支度して朝7時10分に車を運転して家を出た。国宝五重塔…

随感 

もう二十年以上過ぎた。平成十年九月に萩市から山口市に転居した時は、自分がこんなに長生きするとは思いもしていない。又妻が私を残して死ぬなどと考えてもみなかった。さらに云えば高校の同級生をはじめとして、友人知人の大半が鬼籍に入ることも全く念頭…

川と海

私がほとんど毎日散歩する小道に沿って、清らかな水の流れている1メートル幅の細い溝がある。山口市には大きい川はないが三方面を山で囲まれているために、蛍で有名な「一の坂川」や、私が今住んでいる吉敷の地区を流れる「吉敷川」といった、やや大きい川…

『新・徒然草』  

今日は令和元年6月26日である。丁度一ヶ月前に私は新山口駅で妻と永遠に別れることとなった。今午前8時を過ぎたばかりである。食事を終え皿洗いなど片づけて二階へ上がった。洗濯物は少ないので明日に回すことにした。日頃は8時になって妻は起きてくる…

『硫黄島の奇跡』出版の後

文芸社という出版社からの度重なる要請により、この度『硫黄島の奇跡―白骨遺体に巻かれたゲートル』という文庫本を出した。僅か500部だが、50部だけ著者へといって前もって送ってくれた。残りの450部は冊数にしたら僅かだが、その中から山口県内の5…

笑みを誘った幼い兄弟の姿

今日は十一月朔日。昨夜は雲一つない星空に満月が煌々と冴え渡っていた。不思議なことに十月一日、その日も満月だったが、その時から丁度一ヶ月間、一匹の雨蛙が畑に植えてある二本のオクラの葉に、殆ど毎日来てはじっと蹲っていた。この蛙と二度満月を眺め…

出会い

人生における出会いほど不思議なものはない。その結果が良ければその人の人生は幸せであり、悪ければそれこそ運が悪かったということになる。その運の良し悪しでその人の人生の幸不幸が決まるとなると、これは大きな問題である。人間にとって、いかなる国に…

自転車

満年齢が88歳になったら自動車の運転免許証を返上することにしていたので、今年誕生日の3日後に歩いて警察署へ行き手続きを済ませた。そのとき『運転卒業証』なる一枚の紙を呉れた。それには「山本孝夫様 あなたは、運転免許証を返納し、この先、自動車の…

時の流れ 

今でもその日の事は忘れない。昨年の十月二日の朝、いつものように五時前に起きてパソコンを開き、数日前からの文章の続きを書いた。約二時間キーを叩いた後、階下に降りて神仏を拝み、外に出て軽く体操をした。二階にはもう上がらないで簡単な雑用を済ます…

歯痛

子供の頃よく歯が痛んで歯科医へ行った。最初に行ったのは恐らく小学下学年の頃だったろう。大谷歯科といって、我が家のあった萩市浜崎新町上の丁の町筋を住吉神社と反対の方へ行ったところの町角にあった。診察室は二階にあった。かなり年輩の白衣をまとっ…

山口市コミュニティバス

令和2年、満88歳の誕生日を期して、私は自家用車の運転を止めて免許証を警察署に返上した。その時「優良運転者証」なる一枚の紙を貰った。この他に夜間歩行用の蛍光の襷なるものを呉れた。いずれも私にとっては不要である。形式的なお役所仕事だと思った…

子年の酒器

主役となるべき妻が亡くなったので、正月料理もなくて淋しいものと思っていたが、長男の嫁が大晦日の昼前にやって来て、夕方まで立ち働いてお節料理を作ってくれて本当に有難かった。翌元旦には次男一家も食べるものを持って来たので、六人で令和二年の正月…

山陰の旅

亡き妻の姪(めい)夫妻が是非墓参りをしたいと数日前に電話してきた。今月十一日の日曜日十時頃新山口駅に着くのに合わせて、下関にいる私の長男が駅に迎えに行き、我が家に一寸寄った後、私が加わり四人一緒に萩へ行った。墓参りを済ませた帰りに、松陰神社…

雑感 ― 妻逝きて五ヶ月 

今日で妻が亡くなって丁度五ヶ月になる。妻は五月二十七日の午前一時半に北九州市の門司のホテルで急死した。時の経過は早いとも又遅いとも感じられる。 昨夕いつもより遠い距離を歩いて六地蔵を拝んで帰った。そのためか出掛けにはやや肌寒く感じたが、帰宅…

最初の記憶

戦前までは中学校の教師の家では、書生として遠隔地から来た学生をよく下宿させていた。学校には寄宿舎はあったが、そこに入るのを嫌うというか、上下関係の厳しい環境に適さない者にとって、今でいう適当な下宿屋が萩にはなかったので、そういった学生を学…

老いて病む

山口病院が経営している老人専用施設の2人部屋に入っていた従兄の妻が、肺炎の症状があるからといって手術をしたが結局87歳で亡くなった。彼女の一生を考えると実に行動範囲の狭いもので、夫と子供たち、さらに夫の母つまり姑への献身一筋に生きた人生だ…

紅白の梅

文庫本『硫黄島の奇跡―白骨遺体に巻かれたゲートル』が50冊郵送されてきた。著者だけにといって出版期日の1ヶ月前の配本は、出版社からのサービスのようだ。早速入院中の正道兄に1冊持って行き、残りの19冊は診療中だったが正彦君に手渡した。また幡典兄…