yama1931’s blog

長編小説とエッセイ集です。小説は、明治から昭和の終戦時まで、寒村の医療に生涯をささげた萩市(山口県)出身の村医師・緒方惟芳と彼を取り巻く人たちの生き様を実際の資料とフィクションを交えながら書き上げたものです。エッセイは、不定期に少しずつアップしていきます。感想をいただけるとありがたいです。【キーワード】「日露戦争」「看護兵」「軍隊手帳」 「陸軍看護兵」「看護兵」「軍隊手帳」「硫黄島」※ご感想や質問等は次のメールアドレスへお寄せください。yama1931taka@yahoo.co.jp

山口市コミュニティバス

 令和2年、満88歳の誕生日を期して、私は自家用車の運転を止めて免許証を警察署に返上した。その時「優良運転者証」なる一枚の紙を貰った。この他に夜間歩行用の蛍光の襷なるものを呉れた。いずれも私にとっては不要である。形式的なお役所仕事だと思った。たかが一枚に紙でも全国的に見たら膨大な数で、経費の無駄ではなかろうか。そうは言ってもこれでホッとした。

昨年だったか、私とほぼ同年齢の高級官僚が無謀運転で、まだ若い母親と娘の子を死に至らしめると言う悲惨な事故があった。彼は車のブレーキの故障によるものだと言い張り、最初は責任を回避しようとしていたが、結局は老齢による判断不能の暴走だと判明した。彼はそれまでは官僚畑を順当に上り詰めて人生を謳歌したであろう。それがこの一件に因って、これまでの栄華の座から奈落の底に落ちたと思われる。残り少ない彼の人生は悔恨と己の過失に対する償いの道を是から辿る事になるだろう。問題は彼個人だけではなく、彼の奥さんを始め一家の者に及ぶ。そう思うと気の毒ではある。だがそれ以上に、一瞬にして妻と子を亡くした男性の気持ちは、思っただけでも胸が痛む。多くの国民の同情が集まったのも無理はない。つくづく思う、人間の一生は棺の蓋を閉じるまで分からない。

よくいわれる「人間万事塞翁ガ馬」である。この事件が契機となって、老人のドライバーが運転免許を自主的に返上する機運が一気に高まったようである。自分は大丈夫だという過信がとかく事故を引き起こす。そういった意味で私もまだ運転には自信はあったが、思い切って止めることにした。妻も翌年4月の誕生日には止めると言っていたが、彼女の場合それまで待たずに亡くなってしまった。しかしこうなるとやや不便を感じる。

 

それはさておき、私は当日歩いて警察署まで行った。免許証を返上した途端に運転出来ないからである。新しくできた警察署の窓口で婦人警官が対応した。紺の制服に身を固め、コロナのために白いマスクをした、感じの良いすらっとした若い女性であった。昔は警察官とは言わないで、普通「巡査」とか「お巡りさん」といって、恐れ半ば敬遠していた。私の子供のころは、「悪(わる)さをしたらお回りさんに言うぞ」とか、「先生にいいつけるぞ」と言ったら、小学生程度の子供は案外言うことを聞いたものだが、今は先生も警察もそれだけの権威というか貫禄がなくなった。昔は警察といえば何か犯罪を犯した者や、そういったことに関係した事としてしか頭になかったからである。しかし今は一般民衆との関係が緩和されて、愛される警察官と言った印象が増してきた。その意味において今回色白の中々美人の態度の良い婦人警官に一度会っただけだが、私は良い印象を受けた。

 

車がなくなると確かに不便・不都合である。しかし幸いなことに、我々が萩からこちらに転居して間もなく、家の直ぐ側に自動車道路が通り、その後間もなく田圃を潰して立派なスーパーが建てられた。これは願ってもない有難い事であった。爾来殆どの買い物はこのスーパーと、それに並んでできた大型の医薬品などの販売店を利用している。しかし一寸した遠出、例えば萩や防府等へは勿論、県立図書館などへ行くとなると実に困る。市外へ行くときは息子に頼んで乗せて貰うことにしているが、図書館や山口駅の近くの病院へ行くような場合どうするか。私はこの「山口市コミユニティバス」が我が家の前の道路を走っていることに気が付いて、これを利用してみようと思った。萩では確か「萩市内回るバス」と云って居たと思う。この名称の方が分かりやすい。

実は宇部市に長らく住んでいた従兄夫妻が、二人とも年を取って行動が不自由になったので、長男のいる山口市に来ることになったが、介護の必要があると言うことで、先に述べた山口駅から歩いて10分程の所にある病院付属の老人施設に入った。私は車がある時は簡単に行っていたが、運転を止めた今どうしようかと思い、この市内巡回バスを利用してみようと思ったのである。

時間表を見ると、右回り左回りと逆方向へのバスの時間帯が載っていて、どちらも1時間に1回の運行である。どちらに乗っても山口駅が終点だから、一方のバスだけを選ばなければ30分待てば良いだけである。長くかかる方のバスの乗車時間でも30分足らずである。考えて見たら実に便利である。

その上有りがたいことにバス停は、我が家のすぐ近くにあってスーパーへ行くより近い。「よーし、今日一つ乗ってみよう」と思って時間前にバス停のポールが立っている側のベンチに座っていると、右手から緑と黄色に塗り分けたバスが近づいて目の前で止まった。下車する人は一人もいなかった。ドアーが自動的に開いたので私は乗り込んで、運転者席の後ろの座席に腰を下ろした。座席の目の前に、「コロナのために、マスク着用のこと、乗客同士の大声の話は遠慮すること、座席は離れて座ること」といった掲示が直ぐ目に付いた。私は手提げ袋からマスクを取り出して着用した。

車内放送は皆自動で「次の停車はどこそこです。お降りの方はお知らせください」と各停車場を過ぎたら放送される。降車希望の者がベルを押すと、「次ぎ止まります。バスが止まってから席をお立ちください」とその都度放送される。誠に親切である。いつ見ても車内には一人か二人といったきわめて少人数だった。私はこれまで4回だけ利用したが5人以上乗っていたことはない。しかし運転手は最初の3回が違った男性で最後に乗ったときは女性だった。この職場にも女性の進出かと思った。

バスの正面のフロント硝子の上部に次のバス停が電光板に標示されるので、私は下りるべき停車場の一つ前のバス停を過ぎたときボタンを押した。そうすると「次ぎ止まります」と放送された。これで安心である。

私が利用した4回の乗車で、3人の運転手は男性で、「ご利用有難うございました。気を付けてお帰りください」と言ったように聞こえたが、マスクをしているためか、いやそれよりも私の耳が年を取って遠くなったからであろう、よく聞き取れなかった。しかし最後の女性の運転手の声ははっきりやさしく聞こえて気持ちが良かった。私も「有難うございました」と100円硬貨を料金箱に入れるとき言ってバスを降りた。バスは私を残してあっという間に私の歩く方向、50メートル前方へと走り去った。市当局はこのような少ない乗客では採算がとれないと思うが、車の運転ができない者にとっては有難い交通手段だとつくづく感謝した。

 

バスの乗客で知っている人には会うことはまずない。殆どが年輩の男女で、学校帰りの中学生が乗ってきたことが2度あった。ところが1回だけ知り人を見かけた。いつものように運転席の後ろ、昇降口が左前にあるところに座って居たら、杖をついた一人の男性が乗り込んできた。よぼよぼとした足取りで昇降の踏み段をやっとの思いで上って来た。マスクをしていたので直ぐには分からなかったが、紛れもなく知っている顔だった。

車内では話しかけないようにと掲示がしてあるし、先方も私には気づいていない風だったから黙っていた。まさかこのようになって居るとは思わなかった。彼は高校を定年退職した後、専門の歴史を生かして歴史講座を主催し、幾冊かの歴史小説も出版していた。その面ではある程度名も通っていた。娘さんが2人いてどちらも良くできて東大を卒業後官庁に勤務していると、やや自慢げに話して居たのを覚えている。

 聞くところによると彼の奥さんが先に身体を壊されて、したがって入院生活である。彼も自宅があるのに付き添って居られると耳にした。いわゆる老老介護である。この事を私は此の目で実際に見たので思い半ばのものがある。生き長らえるということは難しい。

 2020・8・17 記す