yama1931’s blog

長編小説とエッセイ集です。小説は、明治から昭和の終戦時まで、寒村の医療に生涯をささげた萩市(山口県)出身の村医師・緒方惟芳と彼を取り巻く人たちの生き様を実際の資料とフィクションを交えながら書き上げたものです。エッセイは、不定期に少しずつアップしていきます。感想をいただけるとありがたいです。【キーワード】「日露戦争」「看護兵」「軍隊手帳」 「陸軍看護兵」「看護兵」「軍隊手帳」「硫黄島」※ご感想や質問等は次のメールアドレスへお寄せください。yama1931taka@yahoo.co.jp

歯痛

 子供の頃よく歯が痛んで歯科医へ行った。最初に行ったのは恐らく小学下学年の頃だったろう。大谷歯科といって、我が家のあった萩市浜崎新町上の丁の町筋を住吉神社と反対の方へ行ったところの町角にあった。診察室は二階にあった。かなり年輩の白衣をまとった品の良い医者だった。その人の長男が後を継いで歯科医になった。開業は市内の別の処で行っていた。彼は私が県立萩中学校に入った時は5年生だったと思う。彼の弟が私と同学年だった。中々活発な男だったが弟の方が兄よりもかなり早く亡くなった。その次ぎに診て貰った歯科医は私の伯父の弟で萩市熊谷町にあった緒方歯科で、「熊谷町の叔父さん」と言っていて、此処へも数回行った。その次は私の継母の弟の妻の兄、つまり叔母の兄が同じく熊谷町で開業していた福田歯科であった。最初の頃に比べるとだんだん設備器具がよくなって、診て貰ってもそんなに「痛ッ」と感じることはなかったが、それでも神経に触って痛いと思うことがあったので、歯科医へ行くのは苦手だった。最後に萩で行った歯科医は萩高校の教え子の井上歯科だった。それにしても私は子供の時からよく歯が痛むので歯科医の世話になったものだ。母が早く亡くなって祖母に面倒をみて貰ったから、祖母はこういった歯の管理といった面での関心が乏しかったからかと思う。それとも元々歯の質が良くないのかも知れない。

 

平成10年に萩から山口に移って、やはり歯科医の世話になっている。我が家から歩いて10分もかからないところに市川歯科がある。広島大学卒業の歯科医免許取得の証明書が待合室に掲載してある。それを見たら先生は57歳だと分かった。今でこそ50歳台は若いように思えるが、芭蕉漱石も亡くなったのは50歳である。

市川先生はすらっとした背の高いやさしい人である。診察を始める前に何時も時候の挨拶をされる。これより前に看護婦が口の中、ならびに歯の汚れを取る作業をする。つまり歯石を除去するために上下の歯の表と裏を器具で徹底的に行うのである。水が同時に注入され、またその水や口のなかに出る唾を吸い取りながら作業するのは非常に苦しい。これは出来たらして貰いたくないのだがそうは行かないようだ。これが終わって先生の診察治療が始まる。この診察前の歯石洗浄作業というべきものが終わった時は本當にホッとした気持ちになる。

先生の治療は概してそれほど痛みが伴わない。歯医者にしても耳鼻咽喉科にしても、さらに外科医にしても、手先が器用であることが絶対条件だと思う。いくら頭がよくて成績がよくても、こういった職に就いた人は不器用では話にならない。今でも東大医学部といえば超秀才が行くところだが、先端科学技術にいくら精通しても臨床医には不向きな人もいるだろう。

ノーベル医学賞を受賞する学者の多くは、医者と言っても実際に患者を診る人ではないのではなかろうか。中国の後漢末・魏初に華陀という名医がいたと歴史書にあるが、こうした名医が日本に今いるのだろうかとネットを開いてみた。そうすると、いわゆる「神の手」と言われる名医が幾人もいると言うことを私は初めて知った。ネットに次のように書いてあった。

 

Ips細胞を作製した山中伸弥教授のノーベル医学・生理学賞に世間が沸いた。だが、日本には、医療の現場にも、ノーベル賞級というべき実力のある医師が大勢活躍している。 

 

こう云って現に活躍されている医師のことを具体的に紹介している。そして最後に或る医師の言葉として「手術が上手くなるには経験が必要です。どんなに偉い肩書きがあっても、実際に目の前にいる患者さんを治さなければ、医者ではないと思っています。」

 

そして最後に、「名声を得るよりも、一人でも多くの患者を救いたいと願い、医療のために努力を惜しまない、其の気骨ある医師魂こそが、世界が認める名医たる所以だ。」と結論付けている。

私はこれを読んで、やはり診療の場にも優れた医者がいる事に心強く感じ、また嬉しかった。

   

昨日からどうも歯の痛みを感じる。山口に来て21年経つが、定期検診前に歯痛を覚えることはめったにない。しかし何処かが悪いのだろう。今日は土曜日で診察は午前中だと思うから、早めに電話して9時に予約者に割り込んで診察して貰う事にした。治療の結果別に何処と言ってひどく痛む所がないから、痛み止めと化膿止めの薬を薬局でもらった。痛み止めのお蔭で歯痛は今は治まったようだ。

 

市川歯科のすぐ近くに私のかかりつけの理髪店がある。或る日散髪して貰っていたとき、店の主人が「あの市川先生の息子さんが休みの時散髪に来られましたが、髪を茫茫に伸ばしていました。息子さんは良くできるので良城小学校を卒業された後、山高へ行かないで九州のラサール高校へ行かれて、今は東大の医学部に入っておられるようです」

私は身近にそんな秀才がいるとは知らなかった。そうなるとこの秀才はもう親の跡を継いで地方の歯科医にはならないだろうと思うのであった。

 

歯痛に限らず、他人の痛みや苦しみ、あるいは悲しみといったことは容易に感ずることは出来ない。同情は出来ても同感は容易ではない。妻は亡くなる数年前から足腰の痛みをよく訴えて居た。その為に私として出来ることは、足腰のマッサージや、血液の巡りが悪くて夏でも足の先が冷えるので、足湯をしてやったりした。外に家事を手伝う程度しか出来なかった。こうした事は一時しのぎに過ぎない。

話は一寸変わるが、妻はテレビで残忍な画面が出るとすぐスイッチを切った。人間は仏心がある一方鬼のような性質も併せ持っている。権力の座について専横を恣にしたり、餓え苦しんでいる者には見向きもせずに贅沢三昧の暮らしを我が物顔にして居る輩がいる。こうした事が何時迄も続くとは思えない。何時かは因果応報の天誅が下ろされるのではないかと思う。特に彼らがその自由がきかない老境に達して老いさらばえた時には。

 

動物の世界では、いたぶる、嬲(なぶ)る、拷問にかけると言うことはないと思う。人間世界ではこういった非人間的な行為が今でも行われて居る。こういった行為が完全になくなり、世界の全ての人民が眞の平和を喜ぶ日が来る事があるのだろうか。眞の宗教家とは他人の痛み苦しみを我が事のように感受出来る人なのであろう。本當の意味での同感は可能だろうか。

私は大学を卒業して最初に赴任したのは県立小野田高校だった。そこに私より少し年輩の若い女の先生が居た。彼女の父はカトリック教会の神父であった。ある時彼女は次のような事を私に話した。

 

「私の弟は父の後を継いでカトリックの神父になりました。弟は私とは違って非常に信仰心が篤く、何時も一生懸命に神に祈りを捧げています。先生はstigmaという言葉をご存じですか?これは聖痕と訳しますが、カトリックで一般に信じられていることです。弟は此の聖痕が自分にも生ずるようにと日夜神に祈っていると言っていました。」

 

私はこの言葉を詳しく知ろうと思って英和辞書を引いてみたら次のように説明してあった。

アッシジの聖フランシスその他の信者のからだに現れたという十字架上のキリストの傷と同一形のもの」

 

キリストが負ったのと同じ傷を身に受けて、キリストの痛み、苦しみを同感したいという気持ちは、私のような凡人にはとても考えられないことである。その女性の教師はとても弟のようにはなれないと言っていたが、やはり親の生き方を見てであろう、停年退職後は保護司として犯罪者の改善・更正を助ける仕事に従事して法務大臣から恩賞を受けられた。彼女が亡くなってもう10数年になる。今はきっと天国に行っているだろう。

 

2020・3・21 記す