yama1931’s blog

長編小説とエッセイ集です。小説は、明治から昭和の終戦時まで、寒村の医療に生涯をささげた萩市(山口県)出身の村医師・緒方惟芳と彼を取り巻く人たちの生き様を実際の資料とフィクションを交えながら書き上げたものです。エッセイは、不定期に少しずつアップしていきます。感想をいただけるとありがたいです。【キーワード】「日露戦争」「看護兵」「軍隊手帳」 「陸軍看護兵」「看護兵」「軍隊手帳」「硫黄島」        ※ご感想や質問等は次のメールアドレスへお寄せください。yama1931taka@yahoo.co.jp

帯状疱疹(ヘルペス)

ウイルスは昔はビールスと言っていた。調べてみると次のように説明してある。

 「遺伝情報を荷う核酸(DNAまたはRNA)とそれを囲む蛋白殻(カプシド)からなる微粒子。大きさは20~300ナノメートル。それぞれのウイルスに特異な宿主細胞に寄生し、その蛋白合成の エネルギーを利用して増殖し、それに伴い細胞障害・細胞増殖あるいは宿主生物に種々の疾病を起こす。」断食をしたら治るともいわれている。

 

 1ナノメートルは100億分の1メートルとあるからその大きさは想像できない。今全世界でコロナ感染が蔓延し、次々に変異株が生じていつ収束するかその兆しさえ見えない状態である。これも当然ウイルスで、私はコロナにはまだ罹っていないが、先週の金曜日に鍼灸の治療を受けたとき、首筋と肩の周辺以外に、腰の周りが少し痛く感じたので其処にも鍼を打ってもらった。ところが自転車で帰って午後の暖かい日差しの下で散歩に出かけて予定の3分の1も歩かない時、急に右脚に力が入らず痛みを感じたので直ぐに引き返した。その後痛みが増してきたので横になってじっとしていたが痛みは増すばかり。これはどうしたことかと思いながら、そのうち収まるだろうと思いながらその日は何とか過ごした。土、日と連休で医者へも行けずに日曜を迎えた。

 

  1月9日、日曜日の朝長男から電話がかかってきた。大学時代の恩師が亡くなられてその墓地を訊いたが不明だと言った。私は「お前が早く論文を纏め上げて研究書として早く出版しないから、こうして恩人が亡くなられるのだ」と注意した。そのついでに私の体の痛みを訴えたらすぐ医者に診てもらうが良いというので、休日だったが小郡に住む次男に連絡したら、彼がよく知っているクリニックが休日の当番医だと分かり、迎えに来てくれて連れて行ってくれた。医者は一目見るなり帯状疱疹ですと判定して飲み薬5日分と、痛み止めの頓服薬を処方してくれた。このウイルスは潜伏していて体力が弱ると頭をもたげるようである。實に厄介な奴だ。

 

 実はその前日の土曜日に入浴した際、何知らず右手で体の右下半身を触ったらブツブツしたものを感じて、「ひょっとしたらヘルペスじゃないかな。どうりでチクチク痛む」ととっさに思った。ヘルペスつまり帯状疱疹の痛みは今から24年も前になるが、真夏の暑い盛りに、萩から山口への転居を決めて妻と二人で片づけをしていた時、書画骨董のガラクタの整理で非常に頭を痛め、その為に或る日わき腹に赤いぶつぶつが線状に出来た。痛くてたまらないのですぐ医者に診てもらいヘルペスの診断され、私は初めてこの病気を知った。服薬してこれは数日で収まった。このことをすっかり忘れていたのである。今その時のことが鮮明によみがえってきた。もっと早く処置していたらこれほどにはななかったものと、「喉もと過ぎれば」と後悔している。

 

 亡き妻の従弟が我が家から500メートルばかり隔てたマンションに一人住まいしている。彼の妻も昨年1月3日に病院で亡くなった。腎不全という病気だった。娘さんが2人いて長女は東京に、次女はアメリカ人と結婚して、はるか遠くのアメリカの東海岸にあるフィラデルフィアに住んでいる。アメリカ独立宣言の行われた由緒ある地である。アメリカは日本とちがいコロナ感染はけた違いに多い。フィラデルフィアも同じで容易には近づけない状態である。その様な状況下にもかかわらず、娘さんはトンボ返りで帰国した。葬儀には間に合わなかったがここに親子の情を見ることができる。日本はお陰でそれほどでない。彼に電話したら何かあれば手伝うと言ってくれた。こんなに有難いことはない。困った時の人助けというが、今こうして不自由な身になって人の親切をつくづく思う。早速今日は買い物に行ってくれたし、この土曜日には小郡のクリニックへ連れて行くと言ってくれた。感謝あるのみである。

 

 ここで鍼治療の事も思い出した。もう十年ばかり前になるが、首筋が凝って困ったので鍼灸医院へ行った。事情を話して首に鍼を打ってくれたのはいいが、そのあと猛烈に痛み出して、横にもなれず、ものも言えず、夜は座った状態で寝た。寝たと言ってもほとんど寝れなかったのが実情である。今回も腰がちょっと痛むので鍼を打ったのが逆効果だったかと思う。鍼灸師は鍼を打てば却って痛みが増すということを知っているかどうかだ。ここで私は医者とか教師とかの立場を考えた。

 

 患者に治療を施したり、生徒を教育する際、ただ徒に強く罰したり、薬を処方してもそれが本当に効果があるかどうかはなかなか難しい。その為に今は体罰を厳禁しているが、相手によれば体罰が効き目があるともいえる。本当に優れた医者や教師は相手を見て適切に対処するのだと思う。鷗外の作品に『カズイスチカ』というのがある。鷗外は医者であった父親が、患者を診てこの患者は明日死ぬとか、もう少しすれば回復すると言って、実際にそのようだったと書いている。こうしたのが名医なのだろう。私のかかった鍼灸師はその点まだその域にまで達していないのでは、と痛い目に遭って思った。

それにしても二度あることは三度、これからもっと気を付けよう。

「愚かなる者は何時まで経っても同じことを繰り返す。」ということか。

 

 ひどい痛みはかなりとれたが、まだ絶えず意識している。何かにつけそのことを意識するということは、それに捕われているということで、健全とは言えない。心身ともに何ものにも拘束されない人は、めったに存在しないだろう。その境地を目指して宗教家などは厳しい修行をするのだろう。痛みを一つの試練として前向きに対処すべきだと思うが、凡人には至難の事である。気分転換につまらない歌を数首作ってみた。

 

  ヘルペスに罹りし前にわき腹がチクチク痛むこれぞ前兆

 

  何事も前兆ありと思うなり気づく気づかぬ賢愚の違い

 

  先見の明とは人のよく言えど実行してこそ真の先見

 

  見過ごして痛い目に遭い金使い馬鹿の骨頂極まれり

 

  世の中に佳き言の葉の多くあり「温故知新」もその一つなり

 

  ヘルペスの痛み知らしむいまさらに神経痛に悩める妻を

 

  心から同情するは至難なり自ら病みて他人(ひと)の痛むを

 

  釈迦の説く生老病死の道のりを痛み少なく歩まんものを

 

  生あれば必ず死あると知るけれど苦痛少なき死をば望まん

 

  何事も無意識なるが最善と病みて始めて思うことなり

                         

                   2022・1・18 記す