yama1931’s blog

長編小説とエッセイ集です。小説は、明治から昭和の終戦時まで、寒村の医療に生涯をささげた萩市(山口県)出身の村医師・緒方惟芳と彼を取り巻く人たちの生き様を実際の資料とフィクションを交えながら書き上げたものです。エッセイは、不定期に少しずつアップしていきます。感想をいただけるとありがたいです。【キーワード】「日露戦争」「看護兵」「軍隊手帳」 「陸軍看護兵」「看護兵」「軍隊手帳」「硫黄島」        ※ご感想や質問等は次のメールアドレスへお寄せください。yama1931taka@yahoo.co.jp

三つの大切な事

「健康な身体」、「健全な精神」、「賢明な頭脳」。私はこれまで生きてきて、この三つがバランスよくとれた人は幸せだと思う。人は生まれたら普通両親に育てられる。ところが生まれて間もなく片親または両親との死別という事もある。これはその人の運命だろう。「艱難汝を玉にする」と言う言葉がある。いわゆる世に出て成功した人には、こういう不幸を若くして背負った人が結構多くいる。しかしそのような人にはどことなく明るさに欠けた面があるように思う。そうなるかならないかは本人の自覚と努力の問題である。しかしそれは仕方のないことだとも言える。

 

小・中学校に入るまで、さらに成人式を迎えるまで両親の愛情に恵まれたものは幸せである。概して親というものは、我が身を犠牲にしても我が子のためを思ってくれるからである。まず親は子供の健康を考える。と同時に素直で健全な心を持つようにと常日頃から子供に教える。問題は知能つまり勉強だが、これは本人の自覚によることが多い。小学時代から勉強が好きな子は少ない。何と云っても遊ぶことが子供の本能なのだから。

 

最近の傾向として、勉強さえ出来たら良いと言った考えが強く、小学校に入る前から勉強塾に入れて、子供から遊びを奪う愚かな親が見うけられるのではなかろうか。そうして勉強だけは何とか良くでき、一流大学に入ったまでは良いとして、それからどうなるか。先に云ったバランスに欠けているので、まともな社会生活が出来ず、不幸な人生を送るということになりかねない。そうなると親の責任は免れない。

 

小さいときから勉強が好きで黙っていても勉強を一人でする子は珍しい。このような子がいたら、普通の親は喜ぶが、その為に心身の発育が阻害され、病気にでもなったら元も子もない。勉強が早くから好きか、遅くなってし出すかは人による。大事な事は、親として子供にやる気が出るように、そっと見守って、その様に仕向けることである。「出藍の誉れ」とか「鳶が鷹を産む」というのはまあ例外だろう。親が自らの子供時代を顧みてみたらよい。自分より少しは立派な人間に育つように暖かく見守ることが、子供の幸せを願う親の生き方だと私は思う。親自身が賢明になることが子育てで一番大事だ。二度とない人生である。出来るだけ健康で、健全な精神を持って、物知りになるより本当の意味で賢くなる事だ。そして年を取っても何か良い趣味を持ち、多くの事に興味を抱き、前向きに楽しく暮らし、最後は安らかな死を迎えるようになれたら、生まれて来た甲斐があるのだと私は思って居る。  

 

これはあくまでも私の考えだから、他人はどう思うか知らない。数えの90歳まで何とか生きてきた。自分でもよく生きたと思う。顧みて半ば反省しながらも、私のこれまでの人生はよかったと思う。「生老病死 四苦八苦」これが人生である。何もないと言うことは絶対に無い。こうした人生の苦難にいかに対処し乗り切るか。それには始めに書いた「三つの大事な事」が必要である。

 

私は自ら省みて何とかよかった人生だったと思うのは、まず健康だからだ。一人暮らしも差し支えなく行っている。これも息子や嫁達が気を配っているお蔭である。考えて見たら友人知人はほとんどと言えるほど鬼籍に入っている。私の人生も先が見えている。こうしてこの歳まで生きてこられたのは、偏にこれまで世話になった数多く人のお蔭である。 

 

私は実母が私を産んだその年に25歳の若さで死んだ。私は母の愛というものが実感できない。継母には心から感謝するが、なにかしら違いがあるような気がする。それは私には分からない。実母が早く亡くなったからだ。しかしあの世から私を見守って呉れていると私は強く信じている。生きて行くには「自力」で努力しなければいけないが、目に見えない「他力」とうものによって、大きく影響されるとつくづく思うのである。子供や孫達はこれからの人生を幸せであってくれたらと切に願うのである。亡き妻もきっとあの世から見守って居てくれるだろう。

                2021・2・14 記す