yama1931’s blog

長編小説とエッセイ集です。小説は、明治から昭和の終戦時まで、寒村の医療に生涯をささげた萩市(山口県)出身の村医師・緒方惟芳と彼を取り巻く人たちの生き様を実際の資料とフィクションを交えながら書き上げたものです。エッセイは、不定期に少しずつアップしていきます。感想をいただけるとありがたいです。【キーワード】「日露戦争」「看護兵」「軍隊手帳」 「陸軍看護兵」「看護兵」「軍隊手帳」「硫黄島」        ※ご感想や質問等は次のメールアドレスへお寄せください。yama1931taka@yahoo.co.jp

昭和の一桁

今マスコミの最大の話題は、オリンピック組織委員会委員長の森氏の発言に関する事であろう。元総理であった森氏は、以前「神国日本」の発言で、マスコミに叩かれて総理の座を下ろされた。私が子供の頃は、2月11日は紀元節といって、学校では式典があって、授業はなく式が終われば家に帰った。紅白の餅を貰ったような事もあったように記憶している。式で歌った「紀元節」の歌詞は1番だけは良く覚えている。

 

雲に聳ゆる高千穂の

高嶺(たかね)下ろしに草も木も

靡(なび)き伏しけん大御世(おおみよ)を

仰ぐ今日こそ楽しけれ

 

漱石の『小品集』に「紀元節」というのがある。「先生が白墨を取って、黒板に記元節と大きく書いた。そして出ていった。」その後の文章が面白い。

 

すると、後から三番目の机の中程にゐた子供が、席を立って先生の洋卓(テーブル)の傍へ来て、先生の使った白墨を取って、塗板(ぬりばん)に書いてある記元節の記の字へ棒を引いて、其の傍へ新しく紀と肉太に書いた。外の子供は笑ひもせずに驚いて見てゐた。(中略)

記を紀と直したものは自分である。明治四十二年の今日でも、それを思ひ出すと下等な心持ちがしてならない。さうして、あれが爺むさい福田先生でなくって、皆の怖がってゐた校長先生であればよかったと思わない事なはい。

 

小さい頃からの漱石の正義感と反骨精神が垣間見られて面白い。紀元節は1872年(明治5年)に祝日として設定されたから、漱石が小学校に入る直前の事である。彼は既に此の祝日を知っていたのは間違いない。

 

戦後自由民主主義の徹底に伴い天皇制は廃され、また神国日本と言った考えは完全に否定された。森氏に関しては、私はマスコミの喧伝は度を越しているように感じた。もしマスコミの伝えるように、彼がオリンピックの精神に反する女性蔑視とか、この大会を利用して金銭欲や権力の座に汲々としているのならば、潔く辞するべきだと思う。しかしマスコミの言うように彼がそんなに悪い人だとはどうしても思われない。顔を見ても悪そうには見えない。老体を国のために捧げ、最後の御奉公をしたいという彼の言葉は満更虚偽ではなかろう。

 

私は日本が神の国だとは思わないが、戦前と戦後で歴史観がこれほど変わるとは思いもよらなかった。歴史の真相を究めることは果たして可能だろうか。特に古代日本の歴史について。歴史書は概して時の権力者にとって都合のよいように書かれてあるといわれる。中国の歴史書はほとんどがそうだろう。

 

此の度梅原猛著『隠された十字架 ―法隆寺論』を読んで、法隆寺再建の謎を知る事が出来た。その前提となる聖徳太子蘇我一族との緊密な関係、さらに蘇我一族を倒し政権の座に就いた藤原氏、そしてその結果太子の息子の山背皇子並びに、彼の一家の惨殺。その為に藤原氏は太子一家の呪いの霊を祭るために法隆寺を再建したのだと知った。我々が小学・中学で教えられたのは、聖徳太子が仏教を広め、自らの信仰を深めるために建てたとのことだった。しかし今や再建論は疑う余地がないようである。

 

さらに私はこの本を読んで、法隆寺の東側に建っている夢殿が、それこそ太子の怨霊を封ずるために、太子の等身大の木像をつくり、白布で十重二十重(とえはたえ)に包んで、一千二百年もの長きにわたって、閉じ込めていたのだと知って、当時の人間がいかに怨霊を恐れていたか、人の心がいかに弱いものかと思った。明治17年にフェノロサが日本中央政府の許可を得て強引に夢殿の扉を開き、此の太子を模して作られたという救世(ぐぜ)観音の立像の木綿を取り除いたときの驚きは、想像を絶するものであったろう。これが聖徳太子の似姿だという事は、梅原氏のこの本によって一段と真相に近づいたと言える。しかし本当にそうだとはすべての学者が承認してはいないようである。結局本当の真実は確定されたとは言えない。

 

話がそれたが、森氏の本当の気持ちは誰にも分からない。本人自身その時の状況如何によって多少揺れ動くのではなかろうか。軽い気持ちで話した言葉を取り上げて、鬼の首でも取ったかのように、誹謗中傷、相手の人格まで貶(おとし)めるような事を、今のマスコミは平気で行っている。どう考えても品がない。 他人の気持ちを忖度する事は別に悪いことではないが邪推はよくない。森氏は83歳とのことだが、今昭和の一桁で一番若い人は87歳である。彼はそれに近い年齢である。政治家や実業家というものは、死ぬまで何らかのしがらみや欲望から免れないのか。考えて見たら気の毒だ。先日もコロナの中にあって、ソフトバンクが3兆円の純利益を上げたという。孫社長はこれでは決して満足しないと嘯(うそぶ)いて居た。金を持って人間は死ねない。彼は死に臨んだらどうするのだろうか。社会福祉に貢献したら立派だ。貧乏老人の私はいらぬ心配をする。

 

先日天気が良いので自転車に乗って出かけた。目指すは山口大学の側にある文栄堂書店である。市内では岩波書店出版の本はこの書店でしか販売していない。岩波文庫でも見てみようと思って自転車を漕いだが、途中下を列車が通る橋の処に来た時、歩行道路の拡幅工事をしていて交通止めになっていた。私は自転車を降りて車道の出来るだけ歩道よりを恐る恐る歩いた。直ぐ側を車が何台も通過した。我が家から書店まで往復1里以上はあるので結構くたびれた。もうこのような遠乗りはすまいと思った。年寄りの冷や水だから。

 

書店に行ったついでにと思って、私は近くに住んでいる宇部高校時代の同僚を訪ねた。彼は留守だった。同じ宇部高校で同僚だった人物が山口市内に住んでいた。彼は萩高校の先輩でもあったから私はよく話に行っていた。彼は私の妻が亡くなった2日後に肺気腫で亡くなった。「昭和一桁」の90歳だった。実に良い人物だった。

 

先日訪ねたのは私より4歳ばかり若いから「昭和一桁」ではなかろう。彼は宇部高時代に私と同じ下宿にいた。山口に来て見たら姓が変わっていた。大きな地主の処へ養子に入ったのである。田畑もあるが、大学生のためのアパートを4棟も新築して、維持管理していると言っていた。数年前に奥さんに先立たれ、このスーパーの管理世話に加えて、田畑の仕事を彼一人でやっているようだから、大変だろうとつくづく思う。息子さんは県外に就職していて孫息子が2人いる。一人は東大工学部大学院を出てロボット工学を研究する会社に就職したとか云って居た。その弟は九大の農学部に入っているとか。彼には娘さんがいて秋吉のサハラパークで動物の世話をしていて、毎週一回帰って来るが結婚をしていないとも言っていた。85歳になると思うが、彼は一人で暮らしをしていて、この先如何するかと他人事ながら心配した。

 

本屋で私は階下を見て回ったが、何時もの処に岩波関係の本が一冊もないので、ここでも遂に岩波の本を取り扱わなくなったかと思い店員に尋ねたら、「すみません。2階に移動しました」と言われたので、上がってみたら従前のように陳列してあった。私はホッと安心した。見て回って一冊の本を手にした。それは中村明氏の書いた『日本の一文 30選』(岩波新書)だった。

 

私は最近気が向いたらよく駄文を書く。少しは参考になる事でもあるかなと思って購入した。この外に『向田邦子ベスト・エッセイ』(ちくま文庫)も買った。

 

 帰って向田さんのエッセイを一寸読んで見たが、ユーモアのある知的な文章には感心した。彼女は1981年の飛行機事故で亡くなった。「昭和一桁」の4年生まれで、52歳だったが本当に気の毒だ。あの時歌手の坂本九も死んで居る。私が以前ドイツへ旅したとき、酒場でツアー仲間とワインを飲んでいたら、いわゆる日本で言う「流し」が、アコーデオンを弾きながら入ってきて、坂本九の「上を向いて歩こう」を演奏した。もう40年も昔の懐かしい思い出である。

 

買ってきたもう一冊の本の著者中村氏は、早稲田大学名誉教授で「文体論」を研究している事を知った。中々面白く教えられる事が多々あった。驚いたことに彼はこれを80歳の時出版している。そして彼は今も健在だろう。昭和一桁に入らない昭和10年生まれであることも知った。面白くて教えられる本のようだから、これから読むのが楽しみである。

 

私には高校時代の友人が萩に今は2人だけ居る。数年前までは私が萩へ行くと連絡したら、必ず5人か6人は集まってくれて、喫茶店で楽しく話したものである。しかし今は車の運転を止めて萩へ行く機会も殆どなくなった。この2人の友人は、私と同じように奥さんを亡くして一人暮らしをして居る。1人は高校を卒業して郵便局に勤め、もう1人は銀行勤務だった。あの当時は今のように猫も杓子も大学進学という事はなかった。私も高校卒業後は銀行へでも入ろうかと思って居たが、伯母が父を説得してくれたお蔭で大学へ行かせて貰った。これは私にとっては運命であると言えるが、ありがたいと思っている。まあこんなことは別として、時々彼ら友人に駄文を書いて送る。そうすると喜んで読んでくれる。こうして交遊を保つ事の出来るのは、「昭和一桁」生まれの、我々3人のささやかな喜びである。

最後に私はこれまで心安く「昭和の一桁」と書いたが「桁」を改めて辞書で引いてみた。

 

【桁(けた)】

   ➊舟を並べて作った橋。浮き橋 

   ❷足かせ。罪人の足にはめ自由を奪う刑具。

   ❸着物かけ。衣桁。

   ❹㋐ソロバンの玉を貫く縦の棒。

    ㋑数の位。位取り。

 

これで納得した。「桁違い」とか「桁外れ」という言葉がある。「昭和一桁」生まれは、「昭和二桁」も後半に生まれたり「平成」生まれの人が活躍している現代においては、おとなしくしているに限る。「昭和一桁」は今や「希少価値」ならぬ「希少数(かず)」になった。森さんも引退した方が賢明だろうと、彼とは「桁違い」の私であるが、他人事(ひとごと)ながら思うのである。本人は兎も角、彼の家族のものたちはやりきれない思いだろう。

 

                   2021・2・13 記す