yama1931’s blog

長編小説とエッセイ集です。小説は、明治から昭和の終戦時まで、寒村の医療に生涯をささげた萩市(山口県)出身の村医師・緒方惟芳と彼を取り巻く人たちの生き様を実際の資料とフィクションを交えながら書き上げたものです。エッセイは、不定期に少しずつアップしていきます。感想をいただけるとありがたいです。【キーワード】「日露戦争」「看護兵」「軍隊手帳」 「陸軍看護兵」「看護兵」「軍隊手帳」「硫黄島」※ご感想や質問等は次のメールアドレスへお寄せください。yama1931taka@yahoo.co.jp

死と生                    

 

 私は家内が亡くなった年の10月に「生と死」という文章を書いた。あれから約4年経った。先日萩市に住む友人がこんなことを言った。

「直ぐ近くの人が亡くなったが少しも知らなかった。小さい時からよく一緒に遊んだり話したりして付き合っていたのに。最近どうも見かけないからどうしたのかと思っていた。後で聞いたら家族葬とかで身内だけでこっそり行ったとか」

 このような話を私も耳にしたことがある。戦後、核家族とかで隣近所の付き合いが激減した。特に団塊の世代というから今75歳以後の者たちは、戦後の景気の良さに惹かれて高校・大学を卒業すると、田舎には留まらずに皆都会へ出て働いた。そのために彼らは殆ど職場結婚などをして家庭を持つことになる。こうなると特に奥さんは夫の両親をほとんど知らない。親元へ帰るには、せいぜい盆と正月くらいになる。従って親が付き合っていた人などは全く知らないので、親の葬儀に身内だけでするという結果になるのはやむを得ない。しかし考えてみると淋しいことである。

 昭和57年に私の父が亡くなった時など隣近所の人が多く来られて何かと世話を焼いて頂いたが、もうこのようなことは全く無くなったといえよう。

 

 政府は地方創生とか言って一時大いに喧伝したが、掛け声だけで寂れ逝く田舎の現状は加速するばかりである。

 私は2018年に出版された『死と生』(新潮新著)を今回再読してみた。家内が亡くなる1年前に買って読んだが、今回もう一度読む気になって読んでみた。著者の佐伯啓思氏は京大で宗教・哲学など思想史を教えておられた人だと思うが、私は彼の中立的なものの考え方が気に入っている。国立大学の教授の多くが左翼的な思想の持ち主のように思われる中にあって、中道を行く人のように感じられ私は彼の考えにはついていける。この本の中で彼は次のように書している。ちょっと長いが引用してみよう。

 

  歴史を概観しても、われわれのこの時代ほど、物資的に恵まれ、生がたやすくなった時代はありません。食べたいのものを十分に腹に詰み込み、特別な事態でなければ、いきなり日本が大戦争の当事者になることは考えにくい。スマホによっていつでもどこでも情報と戯れ、誰かとつながることも出来る。最近はあまり見ませんが、老いも若いも、スマホ片手にボケモンなどというばーチャル怪物を求めて街中をさまよい歩く。少なくとも、外面的かつ社会情況でいえば、これほど気楽に快楽的な生を現実化した社会はかってなかった。そして、そのゆえにこそ、最後に残された問題は死と後の意味になってしまったのです。生の快適さと快楽をいくら追い求めても、最後に待ち構えている 

 「死」の問題には何の解決にもならないからです。

  しかも、この飽食と過剰の時代に、人生を待ち受けているものは、かなりの確率で、どうにもならない「孤独」なのです。読売新聞の調査によりと、2016年一年で誰にも看取られずに自宅で死んだ独居者は1万7000人を超すという。死亡者全体の3・5%に及ぶそうです。東京23区がもっとも多く、この地では5・6%の人が孤独死をしている。

  現在、50歳で独身の男性は23%です。もっと若くなると、30代前半で独身の男性は47%、女子は35%に達します。今後、間違いなく「孤独死」は増加してゆくでしょう。かってのような、ある程度の規模の家族や、近隣関係もほとんど解体し、文字通り一人で死ぬということです。「死ぬときはどうせ誰でも一人だ」などとわかったようなことを言っている場合ではありません。

 

 時代が大きく変わった。今から約60年前、私が教職についていた当時、特別良く出来る生徒は医者の道を選ぶのが多くいたように思う。何故かと言えば医師になれば金が儲かると一般に考えられていたからだ。その為か今でも国立私立を問わず医学部に入るには非常に難しい。

 一般にまた子供の数が多かったので次男3男は殆ど都会へ出て就職した。当時卒業した女性で未婚の者はほとんどいなかった。だから上記のような事を、先を見越して書く様な人は誰もいなかった。もう少し続きを引用してみよう。

 

  本当は誰も一人では死ねないのです。死ぬためには誰かの助けがいるのです。その助けがなくなる、というのが、これからやってくる「孤独死」のおぞましさなのです。

  要するに、歴史上かってないこの豊かな時代の真っただ中で、いわばむきだしの形で「死」が襲ってくる、もしくは待ち構えている、といってもよいでしょう。その意味ではむしろ平安末期や鎌倉時代の方が、死が日常化し、身近にあった分だけ、「死」への心構えもあり、「死」になじんでいたかもしれません。しかも死にゆくものの身近に誰かがいた分だけ、死にやすかったかもしれません。

 

 長く引用したが、私はこの文章を読んで確かにその通りだと思った。実は丁度一ケ月前に私は家の中で転んで胸椎を骨折した。数日間はひどく痛んで寝起きに苦痛が伴ったが、お陰で痛みもだいぶ取れた。それまでは年齢の割には元気だったので、寝た切りになるとか、死については殆ど考えなかったが、今回以上のことについて多少考えるようになった。「生老病死」とは誰でも耳にはよく聞くが、切実にこのことを考える人は少ないと思う。この点やはり釈迦は偉い。若くしてこの問題を解決しようとして一大決心をして「出家」、文字通り家を出ていかれたから。

 

 人間は殆ど誰もが生から死に一足飛びに行かないで、必ず老と病という苦痛に直面する。ところが今現在の日本人で死について真剣に考えている人は80過ぎの老人でもほとんどいないのではなかろうか。これは先に引用した文章にある通りである。これは生活が豊かになり医術が進歩したりして割と楽しい晩年を送っているからだろうが、ひとたび病気になって寝たきりにでもなったら事情は逆転する。

 私の場合息子が近くに居てくれて助かるが、彼らが退職して老年になった時はどうだろうかと懸念せざるを得ないのである。誰もが長生きを望むが人間必ずしも長生きが幸せではないということも時には考えるべきかもしれない。その意味では、家内は寝たきりになる前に亡くなり、多くの知人や友人に見送られて良かったと言えるのではないかと思うのである。ともかくも老いても健康に留意し人生を前向きに生きたいものである。

 

 

 つい最近のことであるが、私は「死」という言葉、この文字で造られている熟語にどんなのがあるかと思って辞書を引いてみた。私の手元にあるのは、『学研 漢和大辞典』(学習研究社)である。  

 「殉死」「餓死」「憤死」「轢死」など全部で32あったが、ほとんどの意味は熟語を見ただけで想像できたが、そうでないのもある。例えば「経死」が「縊死」と同じ意味で「首をくくって死ぬこと」、「情死」と「心中」、また「徒死」と「犬死」が同じ意味である。「瀕死」が「今にもしにそうになるさま」、あるいは「客死」が「よその土地で死ぬこと」で「「かくし」と普通読むなどいろいろと教えられた。

 もう一つ知ったのは、これらの熟語の中で実際には死に至らない意味の言葉があるということである。「必死」「は「死ぬ覚悟で力を尽くすこと」。「仮死」が「人事不省で呼吸停止し脈拍が殆どなく一見して死と違わない状態、ただし瞳孔反射はあり、人工呼吸法などの処置によって回復し得る」と長く説明してあったが、この言葉だけは死に至らないと知った。

 それに面白いことに「致死」といえば「死に至らせること」、同じ「ちし」でも「致仕」と書けば

「官職を辞する事」だとあって、日本語だけではない世界の言語も同音異義語が多くあるので同時通訳をする人は語学の天才といえる人だと思った。

 先日もテレビで非常に感じのいい女性の事が出ていたが、彼女は天皇・皇后や歴代総理大臣の同時通訳をした人で、40歳の時医学を志し、東大医学部大学院で勉強して、今では立派な医師となっておられると報じていた。世の中には凄い才能の持ち主がいると思ったが、彼らは皆実に前向きに生きてきている。

 私はここでもう一つ「命」という文字についても辞書を引いてみた。そのわけは「生命」と書けば「生」も「命」も同じような意味だと思うが、「運命」と「命令」、さらに大国主命の「命」は皆同じ文字だが意味が違うのではないかと思ったからである。そこで辞書を引いてみたら次のように説明してあった。

 [常用音訓]として、メイ「命中・運命」ミヨウ「寿命」いのち「命。命拾い」

 [意味]❶〈名〉みこと 神や目上の人からのさしず・いいつけ・お告げ 

     ❷〈動〉いいつける 

     ❸〈名〉天からの使命。天の意向を自分の責任として自覚したもの。

     ❹〈名〉天からの運命。天の定めを避けがたいものと自覚したもの。

     ❺〈名〉いのち 天から授かった生きる定め。のち広く生命。

     ❻〈動〉名づける。命名

     ❼〈名〉ことば。名称。

     [国」みこと。神の称号「大国主命

     この他に「命中」といって「めあて・目標」を意味するものもある。これに続いて2語からなる熟語が88も載っているのには驚いた。上記の説明で「命」のついた言葉が「死」とは違って多義に分れているのが納得出来た。しかしどれも思ったより難しい。

 

 芳命「他人の命令の尊敬語」

 待命「命令が下るのを待機していること」

 朝命「朝廷の命令」

 知命「天命を知ること」『論語』に「五十而知天命」とある。

 革命「天命が改まること。天命を受けた有徳者が暗君に代わって天子になること」

 

 それにしても辞書を作ることが容易ではないことがよく分かるような気がする。私は10年ばかり前に、新潟県三条市の山奥、渓流を遡った所にある「諸橋轍次記念館」を友人と訪れたが、諸橋博士の多年にわたる血のにじむような涙ぐましい努力と、大修館書店社長鈴木一平氏のこれまた世界最高の漢和辞典を作りたいという情熱が相まって、見事に完成した『大漢和辞典』全13巻のことを知ったが、このような片田舎からこんな大学者が出たのかと驚嘆したのを覚えている。博士は数えの百歳で亡くなられたが、一時目が見えなくなられたが、奇跡的に見えるようになられたとか。これこそ天が命を授けたのであろう。今回たまたまユーチューブで映し出された記念館並びにすぐ近くにある博士の生家を見て、あの時の事を思い出して、文化の香りを再び味わうことが出来た。

2023・9・4 記す