冬日の想い
朝起きて窓のカーテンを開けて外を見ると、夜間の寒さに何とか耐えたかのように、菜園に植えてあるチシャやエンドウ豆の蔓と葉が萎れた姿でぐったりしていた。私はもうかれこれ2週間になるが、ヘルペスの痛みが完治しないので、午前中は一歩も外に出ないでじっとしていた。この間手紙を2通認めた。朝から青空で天気は良いが寒さはこの季節にあっては当然だろう。午後になってまた窓の外を見ると先に述べた野菜は陽の光を受けて元気になったように見えた。私は外に出てエンドウ豆の蔓が横倒れになっているのを持ち上げて、ネットにしっかり絡まるように細い紙糸で括ってやった。
私はこれまでこのような処置を心を込めてした覚えはない。しかし今日はちがった気持ちで行動した。齢を取り独り暮らしの身となって、自然に生きるすべての命あるものに、憐れみを覚え、共に生きようという気持ちを強く感じるようになったためかと思う。
私の友人の一人は、彼も独り暮らしを私より早くから続けているが、毎日植木鉢に水やりをして、その生き生きとした生育を愛でていると言っていた。このように自然を愛で、自然と気持ちの上で一体化するのはやはり年を取り、さらに言えば独居生活を余儀なくされたとき一段と強まるのではなかろうか。
私は昨日から上田三四二氏の『短歌一生』という文庫本を読んでいる。「老いと円熟」という題で彼は次のように言っている。
短歌が青春の文学であることを私は首肯するが、よりいっそう、老年の文学であることを確信する。もっとも、青春において輝かなかった者が老年において輝くことはむつかしいかもしれないが、人の生き方はさまざまである。私の短歌によせる期待と確信は青春になく、老年にある。
著者は最後にこう書いている。
人間には老いることが必要である。老いは必然だが、本当は、また、必要なのではあるまいか。
老いはよき死のために必要である。そして、よき死は良き生の立証にほかならない。
上田氏は1923年に兵庫県に生まれる。京都大学医学部卒業。歌人、文芸評論家、作家。
1989年没。とある。彼は昭和23年に大学を出て、インターンを終わったあと、大学に残って内科学を専攻して、日夜励んでいた時、体を壊して結核になっているが、そのころから短歌を始めていて「ひどく晩生(おくて)であった」と書いている。
私は卒寿という年齢になってもう先が見えている。最近何かしら歌の良さを多少感じるようになった。そして自分でも下手な歌を詠んでみる気になった。思うに私の血脈の中を僅かながら歌を愛でる何らかのものが流れているのかもしれない。私の歌は、到底歌と云えるものではないが、一人詠って楽しめばそれで良しとすべきだと思う。
私はこの文庫本を著者が亡くなって3年後の1992年に購入している。少しは読んだがそのまま書架に飾っていた。この度何気なく手にして良い本だ思って読んでいるのである。
エンドウ豆
去年撒きしエンドウ豆の青き蔓嫋やかなれどたくましきかな
寒空にエンドウ豆の蔓伸びて小さき命生きんとしける
暖炉なく日差しをのみぞ待ちたるかエンドウの蔓青く輝く
この寒さエンドウ豆よよく耐えた雄々しき命我見習はん
これまでは目にも留めざる草花の生きる命のたくましきかな
2022・1・19 記す