yama1931’s blog

長編小説とエッセイ集です。小説は、明治から昭和の終戦時まで、寒村の医療に生涯をささげた萩市(山口県)出身の村医師・緒方惟芳と彼を取り巻く人たちの生き様を実際の資料とフィクションを交えながら書き上げたものです。エッセイは、不定期に少しずつアップしていきます。感想をいただけるとありがたいです。【キーワード】「日露戦争」「看護兵」「軍隊手帳」 「陸軍看護兵」「看護兵」「軍隊手帳」「硫黄島」※ご感想や質問等は次のメールアドレスへお寄せください。yama1931taka@yahoo.co.jp

西洋朝顔    

 今年5月22日にジュンテンドーへ行ってトマトと胡瓜とオクラの苗を 買った。その時「西洋朝顔」の小さな苗を5つ求めた。表示の写真が綺麗なので物は試しにと思って買ったのである。翌日ささやかな菜園を地ならしして、トマトと胡瓜とオクラの苗を植え付けた。そして西洋朝顔の苗をビニールの小さな容れ物から取り出して、塀壁の側に30センチ間隔で植えて、それぞれにビニールの小さな棒を5本立てた。その近くに小芋を育てていたが大した収穫はなかった。

 6月が過ぎ7月になっても此の西洋朝顔は一向に成長しないで、そのうち2本は少し茎が伸びた段階で枯れてしまった。私は他の野菜に毎朝か夕方に水をやるついでに、西洋朝顔にもホースで適当に散水していた。ところが8月になって急に残り3本が蔓を延ばし始め、同時にハート形の緑の葉が一面に開いて、2メートル近くある塀壁を乗り超えて道路の方へと伸びて行った。苗の根元の茎がビニールの棒に巻き付いて、棒より太くなっているのに驚いた。 

 

 私は葉っぱが散るのでもないし、塀の側を歩く人の邪魔にもならないからそのまま放置していた。我が家の近くに小公園がある。そこの広場や滑り台など遊具がある所では、土曜や日曜日になると多くの小学生が来てサッカーボールを蹴って遊んだり、幼い子を連れた母親が幾人も来て、その子がよちよち歩くのを見ると、それは私にとって目を楽しませてくれる光景である。そこには一周200メートルの歩行者用のトラックもあるので、私は殆ど毎日、朝早くか夕方散歩する。

 この小公園へ入る正面と側面の金属製の垣に、西洋朝顔の蔓が巻き付いていて、空色の花を咲かせ始めたのは7月に入ってからだった。その花は直径5センチ程度で可憐な感じだった。これが緑の葉の間から美しい顔を見せているのに、我が家では葉ばかり青々と繁って少しも花を咲かせないので、ひょっとしたら花なしの苗かなと内心心配しながら、いつも公園内を散歩していた。

 

   9月も過ぎ10月になってからである。なんだか葉の芽とは違う小さな芽が出ているのに気が付いた。米粒くらいの大きさで色は矢張り青色である。それがかなりの数それこそ一面に拡がった蔓と葉の間に見えて来た。私はひょっとしたらと期待に胸を膨らませた。

 

   10月11日の朝の事である。実は前日に道路側に伸びていた蔓の先に紡錘状の白い花の蕾が出来ているのに気が付いた。私は朝3時半に目が覚めたので、まだ起き上がるのには早いと思ってベッドに横たわったままで養老孟子氏と4人ばかりの対談の本を2時間ばかり読み、5時半になったので、前日宇部高校で教えた男性からの手紙に返事を書いた。書き終わったのが8時前だった。それから神仏を拝み外に出てこれも何時もの様に、萩から持ってきて庭に安置してある石地蔵を拝んで、朝顔はどうなったかと思って畑に行ってみると、空色の花が鮮やかに咲いているではないか。私は「待望」という言葉を実感をもって思い出した。青空と全くと言っていいほど同じ鮮やかな空色である。久しい間待ち望んだ花を目にして私は実に嬉しかった。苗を植えて4か月20日経ってやっと開いた花である。

 

 私は「ひょっとしたら道路側にも咲いているのではないか」と思って、玄関の戸を開けて道路に出てみた。垣を越えてこんもりと茂っている朝顔の葉に目をやると、ここにも同じ大輪の花が1輪だけ開いていた。垣の内と外の花はそれぞれ清々しい朝の大気を身に受けていかにも喜んでいるように見えた。ちょうどその時燐家の奥さんが洗濯ものを干しておられたので声をかけた。

 「西洋朝顔の花がやっと咲きました。綺麗だから見てください」

 こう言って紹介した。そしてついでに、

 「貰い物の野菜があるから差し上げましよう」

 と言って、足早に家の中に入り、冷蔵庫の中から長男の嫁が前日持ってきてくれた茄子とピーマンを少しビニール袋に入れて、奥さんに手渡した。

 「これから毎日咲いてくれるでしょう。このように蕾が沢山ついています。それにしても待望久しいものでした。此処を通られる人が見てくださると良いです」

 こう言って私は奥さんと別れた。

 

 一夜明けた翌日も私は期待しながら畑に出てみた。畑側には1つだけ、道路側には3つ咲いていた。いづれも鮮やかな空色で朝の爽やかな空気を身に受けたように綺麗な花を咲かせていた。

 今日は10月14日である。畑の側には2つの花がかなり離れて咲いていた。外の道路側には4つの花が固まって咲いており、2つがそれぞれ離れて咲いていた。全部で8つ咲いたことになる。

 ネットを見ると、「ソライロアサガオ(空色朝顔)。ヒルガオ科の1年草、『西洋朝顔』と呼ばれることがある。」と載っていた。

 まさしく青空の色である。数多くの蕾が開花を目前にしているように見える。茂った緑色の葉をバックに咲いている空色の美しい花々は、これから当分の間、私に元気と明るい希望を与えてくれる様な気がする。

 

     加賀の千代の有名な句がある。

  

   朝顔につるべ取られてもらい水

 

  日本人ならではの感情がよみとれる。私は朝顔が何時頃日本にもたらされたかと調べたら、奈良時代末期に、遣唐使が種子を薬として持ち帰ったのが最初だと知った。奈良・平安時代に薬用植物として使用されていたようだ。古く『万葉集』に「朝顔」と呼ばれていたのは、「キキョウ」あるいは「ムクゲ」をさしている。

 萩にいた時、我が家の畑と隣の畑と境をなしているところに「ムクゲ」が数本植えてあって、季節には薄桃色の花が咲いていたのをよく覚えてゐる。子供のころ「モクゲ」と言っていた。漢字で「木槿」と書くのになぜ「ムクゲ」と云うのか不思議だ。韓国の国花は確かこの花だったと思う。

 

  日本の国花はと問えば、誰もが桜と菊と答えるだろう。我が国に昔からある草花と言えば、

  

 桜 皐月 藤 薔薇 蓮 花菖蒲 百合 萩 山茶花 椿 薄(尾花)などがあるようである。

 

 現代洋花が非常に多く出回っている。ここに挙げた花々は皆馴染みのもので、誰でもすぐに頭に浮かべることが出来るだろう。 若い時は草花にそれほど目を向けなかったが、こうして年を取り、おまけに1人になると、散歩の道すがら目にする草花にも、自然の美しさと安らぎを感じる。

 

  朝顔に今起きたかと冷やかされ

 

  朝顔は真澄が色に輝けり

 

  朝顔といえども夕日に顔を見せ                     

 

 2023・10・14 記す