yama1931’s blog

長編小説とエッセイ集です。小説は、明治から昭和の終戦時まで、寒村の医療に生涯をささげた萩市(山口県)出身の村医師・緒方惟芳と彼を取り巻く人たちの生き様を実際の資料とフィクションを交えながら書き上げたものです。エッセイは、不定期に少しずつアップしていきます。感想をいただけるとありがたいです。【キーワード】「日露戦争」「看護兵」「軍隊手帳」 「陸軍看護兵」「看護兵」「軍隊手帳」「硫黄島」        ※ご感想や質問等は次のメールアドレスへお寄せください。yama1931taka@yahoo.co.jp

水温(ぬる)む

昨晩は入浴後直ぐに床に入った。今朝眼が醒めたのは五時半だった。九時前に寝たから八時間半も寝たことになる。朝早いので少し肌寒いので暖房を付けた。

先月の二十八日に読んでそのままにしていた中西進の『万葉集原論』(講談社学術文庫)を、また開いて読んでみた。良い本だと思うがやや難しい。しかし興味を惹かれる内容である。次の歌が載っていた。

 

信濃なる千曲の川の細石(さざれし)も君し踏みてば玉と拾はむ(14 三四〇〇)

 

私は良い歌だと思ったので土屋文明の『萬葉集私註 七』(筑摩書房)を書棚から出して同じ歌を見てみた。元の言葉は次の漢字の羅列である。振り仮名があっても普通の者には読めないだろう。

 

信濃奈流(シナヌナル) 知(チ)具(ク)麻(マ)能(ノ)河(ヵ)伯(ハ)能(ノ) 左射禮思母(サザレシモ) 伎禰之布美弖婆(キミシフミテバ) 多麻等比呂波牟(タマトヒロハム)

 

大意は「信濃にある、千曲川のさざれ石も、君が踏んだならば、玉として拾はう。」

これは男女の恋歌と考えられるが、同じ巻の三五四二に次の歌がある。

 

 さざれ石に駒を馳させて心傷みあがもふ妹が家の邊かも

 

大意は「さざれ石の上を、駒を馳せさせて、心いたましい如く、深く吾が思う妹が家のあたりであるかな。」

 

 競馬場に砂利を敷きつめたら、日本ダービーで優勝したあの史上初の白馬でも、さぞかし駆けるのに苦労するだろう。騎乗の者は心傷めるだろう。私はこれら二つの歌の中に詠われている「さざれ石」に国歌「君が代」を思い出した。戦前は小学校に入ったら式典では必ず「君が代」を斉唱させられたので、知らないうちに覚えのだが。ところが戦後日教組による反対運動で、今でもこの国歌が学校で歌われていないのではなかろうか。大相撲や国際的な競技で優勝した時だけ、これが演奏されるようでは何とも情けない。国歌や国旗が堂々と歌われ掲揚されない国は独立国とは言えない。

 

君が代」は戦時中軍国主義を鼓吹するものとして、戦後憂き目にあったが、本来は「君」とは自分の尊敬し、または愛する人を指して、その人が何時迄も長く生きてくれるようにと願う歌だと言われている。「さざれ石の巌となりて、苔の蒸すまで」とは途方も長い年月のことである。考えて見たら実によい歌で、愛する人が何時迄も生きて居てくれと願う素朴な歌のようである。それにしても右から左へと極端に変わった。

 

 千曲川の歌に関連して、以上のような事を知った後十時になったので、久し振りに今日は吉敷(よしき)川に沿って歩いて見ようと思って出かけた。遠くの山は緑一色である。しかし浅緑から濃き緑まで濃淡ははっきりしている。樹木の違いで葉の色がこのように違うのだろう。先月中旬に友人と島根県の津和野から益田迄車で移動したとき、車窓から遠くの山々が全山ほとんど真っ白に見えたところがあった。それは「こぶし」が咲いていたからである。「北国の春」を思いだした。我が家から遠望出来る山々でも、ところどころ白く見えた。その時から少し日が経つと、今度は薄紅色に変わって見えた。これは山桜の花が開いたことの結果である。

 

しかし現在は緑一色に染まっている。ただ濃淡があるから見る目を休ませて呉れる。緑一色に塗り潰されていたら異様に感じるだろう。我が家の居間から見える空き地の桜も葉桜になった。注意してみると葉の一枚一枚も同じでは無い。 

 

我が家を出て五百メートルも歩くと川縁に達する。私は石段ではなくて、すこし手前にある鐵で出来た粗末な梯子から草地に下りた。そこは川の直ぐ側の河川敷と言った場所である。雑草が伸びるので時々除草されている。今日はやや草が伸びていて踏んで歩くと靴が丁度草に埋まる程度で、ふかふかとして歩いて居て気持ちがよかった。

 

川の水は「水温む」といったように見えたが、手を水中に浸けたわけではない。見た目に何となくそのような感じがした。陽光に照らされた水がさらさらと流れゆく時、さざ波がきらきらと輝いて見えた。今が一年で一番良い気候かも知れない。秋空の如く澄み切ってはいないが、周囲は暖かい雰囲気に包まれている。

 

向こうに二羽の鴨が泳いでいたので、カメラに撮ろうと思って少し近づいたら、羽ばたいて川面を滑るように上流へと飛んでいった。別に危害を加えるのでは無いのに、こちらの気持ちが分からないのだろう。一寸残念な気がした。

 

少し川縁を歩いて行き、斜面を上って普通の道へ出た。そしていつものように六地蔵への散歩コースまでゆっくり歩いた。途中老夫婦に会っただけで外には誰にも会わずに帰宅した。家を出るときはやや寒いかと思って着ていたジャケットを脱いで手に持ったままで帰宅した。道端に見かける草花の多くが黄色と白色だったが、その名を知らない花ばかりである。丁度一時間の散歩であった。

 

 名も知らぬ道辺に咲きし草花は黄と白とが多く目に付く

  見られても見られなくても咲き出でてまた消え失せる野辺の草花

草花は咲きていつしか消え失せど人の命も儚きものか

水温み川の流れに浮かぶ鴨我近づけばさっと飛び立つ

 

2021・4・11 記す