yama1931’s blog

長編小説とエッセイ集です。小説は、明治から昭和の終戦時まで、寒村の医療に生涯をささげた萩市(山口県)出身の村医師・緒方惟芳と彼を取り巻く人たちの生き様を実際の資料とフィクションを交えながら書き上げたものです。エッセイは、不定期に少しずつアップしていきます。感想をいただけるとありがたいです。【キーワード】「日露戦争」「看護兵」「軍隊手帳」 「陸軍看護兵」「看護兵」「軍隊手帳」「硫黄島」        ※ご感想や質問等は次のメールアドレスへお寄せください。yama1931taka@yahoo.co.jp

白色の美

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 戸外を歩いていてこれは白いと思うものはいくつかある。 白蓮はその名の如く真白い花である。我が家の畑にはシロヤマブキが咲いていているし、エンドウには白い花がついている。散歩道には白いチューリップが植木鉢の中に、また名も知らぬ小さな白い草花を道ばたで目にする。道路に白線が引かれていて白い車が走る。白いガードレールや白壁の家など白い物は数多く目に入る。空を見上げたら白い雲が浮かんでいる。しかし目が覚めるほどの白いものは中々見当たらない。これらはどれもハッと驚くほどのものとは言えない。私は驚きの目を見張るような白いものを昨日に続いて今日も目撃した。

 

 私は前日に歩いた吉敷川沿いの小径を、更に上流まで歩こうという気になってとぼとぼと歩を進めた。春の陽気に誘われた点もあるが、来年になったらできないかもしれない。今年は何とか可能のような気がする。こう思ったので大袈裟に聞こえるがあえて挑戦した。マイペースでゆっくり歩きながら、川土手に今を盛りに咲き誇っている桜の垂れ下がった枝、時に吹く風に散る桜吹雪、清らかな水の流れ、空は澄み渡って暖かい日差し、こうした良い条件に恵まれて、気分良く歩いていたら、何処からともなく翼を広げた一羽の白鷺が川面をスーと滑るようにして下りてきた。

 

 これはまさに天来の客のように思えた。目が覚めるほどに純白の一羽の鷺である。鷺は流れの直ぐそばの石の上に舞い降りた。周囲の景色は色とりどりでいずれも美しいと言えるが、このサギは目を疑うほどの純白である。一点の穢れもなければ汚れもない。それが大きな白い羽を上下に動かしながら悠然と飛ぶ様は現実のものと思われない幻想の世界のように目に映った。私はこの鷺の飛翔をカメラに撮ろうと思い、スマホを取り出して静かに近寄った。私が歩いている小径と鷺の舞い降りた川床までの距離は約20メートルほどである。私はなるべく鷺に見つからないようにと腰をかがめて桜の枝に身を隠すように距離を少しずつ狭めた。そして鷺が飛び立つのと同時に、タイミングよくシャッターを切ろうとした矢先に、鷺は私の存在に気が付いてさっと羽を広げて10メートルばかり前の方へ移動した。

 

 私は自分の姿を隠したつもりだったが鷺はいち早く私を認めて逃げたのである。今度はうまく近寄ってやろうと思い、慎重に近づいて行ったがまた逃げた。こうした試みを5回ばかり繰り返したが結局飛翔の姿を撮ることは出来なかった。静止しているところでさえなかなかうまく行かない。ましてや両翼を広げて飛び立った時の美しい姿は私の手には負えなかった。それにしても鷺の周囲のものへの用心というか知覚の鋭敏なのには驚いた。各種の生き物はそれぞれ素晴らしい感覚や行動力を持っている。その点人間の所有する感覚や運動能力は大したものではないのではなかろうか。

 

 天来の客かとまごう白鷺の脚下近く花びら流る

 

 多彩なる春の景色の中にいて一際白き鷺の舞立つ

 

 大いなる翼広げて悠然と我が目の前を白鷺の舞う

 

 実は今朝、本を読んでいた時、何か動く気配がした。何かいるなと思って目を近づけたら、それこそ1ミリメートルにも足らないような実に小さい蜘蛛がいるではないか。昔ならちょっと指先で抑えて殺すところだが、これも命あるものだと思い、外に出してやろうと思って小さな紙きれを傍に置いたら、蜘蛛は一寸躊躇して紙の上に乗ってこない。そのうち紙の上に這い上がったかと思うと、目に見えない小さな足を動かして紙の上を走ったかと思うと、また机の上に移動した。もう一度試みたら上手く紙の上で動きを止めたので、私はその蜘蛛を外に逃がしてやろうとして立ち上がったら、蜘蛛は紙の裏側に回ってスーと糸を垂らして宙ぶらりんになってゆらゆらと揺れている。そのうちまた糸を伸ばして垂れ下がって見る間に姿を消してしまった。

 

 この目に入れても痛くないほどの蜘蛛は薄い灰色であった。そしてその糸たるや殆ど目に見えないほどの小さなものである。この極細の糸をあの小さな体から紡ぎ出すのは、考えたら神秘に近い現象である。走ったり跳んだり泳いだり、更には飛行体を利用して人間は空中を自由に飛べるようになったが、蜘蛛のように自由に糸を繰り出して空中に身を支えるといった技はまだ出来ないのではないように思う。さらに言えば蜘蛛は繰り出した糸と共に風に吹かれて空中を移動するとか。この目にも止まらないほどの小さな生き物も、生物学者に言わせたら、皆最初は細胞から成り立っているというが、実に不思議である。ネットを見たら、世界には3万5千種もの蜘蛛がいて、日本には1千4百種もいると書いてあったのには驚いた。

 

 島根県の津和野町の神社で毎年「白鷺の舞」という行事が行われている。私は一度見学した事があるが、竹に白い紙を貼って翼状のもの作り、それを西洋の絵に出てくる天使のように背中に負い、頭上には鷺に似た首を被り、ゆっくりと翼を動かしての舞い踊りである。これも考えたら、あの真白い鷺の飛翔が美しいので、それこそ神の使者のように考えてこうした行事が始まったのではないかと思う。これはわが国で唯一継続している鷺舞踊りで400年の伝統のある文化遺産だそうである。そういえば白い鷺草が思い出される。

 

 スズメやカラスは問題外として、鷲や鷹や鳶といった鳥たちも悠然と空高く舞う姿は確かに見事である。しかし純白でゆったりと翼を動かして飛翔する鷺とはやはり趣が異なる。昨日見た鷺は大自然の中からそれこそ抜け出たような、他の色とは全く対比した白色で、本当に忘れがたい情景だった。

 

 私は思い切って更に上流へと歩を進め、古い社である赤田神社まで行った。この神社は四の宮とも言われている。非常に古い神社である。直ぐそばの吉敷川の細い流れは見た目にも清々しい。真昼時分であるためか、境内には人気は全くなかった。私は参拝の後、本堂の天井に龍の絵が描かれてあると知って、靴を脱いで上がって天井を見上げた。一面白く塗られた天井に、墨黒々と龍の絵が見事に描かれてあった。黒白の色が鮮明に浮き出て実に素晴らしい天井画であった。

 

 赤田社の格天井の龍の絵に見入りて我はしばし佇む

 

 四の宮の龍を描きし格天井生けるがごとく我を睨めり

 

 参拝を終えて帰りかけたら、一匹の蛇が社殿から10メートルばかり前の石段をするすると上るのを目にした。1メートルは優にある長さだった。丁度そこへ1人にご婦人が来られた。

 「あそこに大きな蛇がいますよ」と言ったら、彼女は目にして、「まあ大きな蛇ですね、そろそろ出て来る時期になりました」と言って、別に恐れる様子もなく、蛇を横目に見ながら石段を登って行かれた。

       

                    

 

 

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 久しぶりに昨日同様、春の陽気に誘われて維新公園まで自転車でドライブした。3日連続の遠出となる。出かけたのは10時半だった。平日であるが桜の木の下で多くの人が弁当持参で花見をしていた。いつになく若い男女の多くが皆きちんとした正装で集まっているので何事かあるのかと思っていたら、大きな立て看板に「山口大学入学式 1時半開始」と書いてあるのが目に留まった。今から70年もの昔、同じ大学に学んだ自分としては今昔の感に打たれるものがあった。これら多くの学生は青春の意気を胸に秘めていることだろうと思った。こうした中にひときわ目立つような1人の女性がいた。

 彼女はすらりと背が高く美しい容姿で、やや薄いレンガ色のスーツを着ていて、それには黒い縦横の線が入っていた。そして上着の襟元を少し開けていて、そこに純白のリボンというか襟飾りをつけていた。私にはその白い色が非常に美しく輝くように見えた。これも特別に目についた白色である。

 

 私はまた自転車に乗ってやや離れたところにある公園内の弓道場へ行ってみた。今から20数年前、萩から山口に来た私は、定年退職後をいかに過ごすべきかと考え、たまたま知った弓道教室に志願して弓道の稽古をした。そのことを懐かしく思って人気のないような道場に入った。私はかってこの場で稽古した時に感じたような厳粛な気持ちになった。正式に矢を射る道場には入らないで、その出入り口に坐った。そこからはるか向こうの的山(あずち)に、横一列に並んだ的を目にして、実にすがすがしい感を受けた。私の坐っている所から約40メートルの距離である。的の直径は38センチメートルで、黒白の同心円が遠くからでも鮮明に見えた。

 そのうちかっての同好の士であった夫妻が稽古に来られた。

 「今日は的貼りです。また稽古を始めませんか」と言って話しかけて呉れたが、

 「いやもう無理ですよ」と言って別れた。彼は元警察官で72歳になると言っていた。

 

 帰宅したのは1時間後であった。家の中に入って少ししてまた外に出た。昼前の空は雲一つなく澄み渡っている。そう思っていたら東の上空から真白い一筋の飛行機雲が伸びて来て、南の方へと定規で線を引いたように真っ直ぐに広大な青空を截然と区切りながら進行しているのが見えた。急いでスマホを持ってきてシャッターを切った。これは白鳥の鮮やかさに匹敵する人工の見事な白色である。私はこれまでにこれほど見事な飛行機雲を見たことがない。昨日の白鳥と今見た飛行機雲。いずれも容易には目に出来ないようなものを続けて目にして何だか嬉しい気になった。

 

 紺碧の空を断ち切る如くにて飛行機雲の白く伸びゆく

 

 飛び行くにつれて伸びゆく一筋の真白き線の青空に映ゆ                          

                           

                    2022・4・5 記す