yama1931’s blog

長編小説とエッセイ集です。小説は、明治から昭和の終戦時まで、寒村の医療に生涯をささげた萩市(山口県)出身の村医師・緒方惟芳と彼を取り巻く人たちの生き様を実際の資料とフィクションを交えながら書き上げたものです。エッセイは、不定期に少しずつアップしていきます。感想をいただけるとありがたいです。【キーワード】「日露戦争」「看護兵」「軍隊手帳」 「陸軍看護兵」「看護兵」「軍隊手帳」「硫黄島」※ご感想や質問等は次のメールアドレスへお寄せください。yama1931taka@yahoo.co.jp

結婚記念日

 昭和36年10月1日にわれわれは結婚した。光陰矢の如し、58年が瞬く間の経過したことになる。この間悲喜こもごも色々とあった。まあこれが人生なのだろう。息子が二人生まれ、それぞれ良き伴侶を見つけてくれた。しかし孫はたったの一人である。我が国の少子化現象をそのまま我が家でも行っている感じだ。まあしかしたった一人でも孫が生まれたことは有難い。妻はこの子を誰よりも愛し慈しんでいた。われわれの晩年はこの子によって喜びを与えられたからである。今はあの世から見守っていてくれていると堅く信じている。

 

人間に限らず命あるものは必ず滅す。これは厳然たる理(ことわり)である。だから妻の死は諦めるというか、受け容れなければならない。わたしは今のところ何とか元気でいるが、この状態が何時までも続くことは絶対にないから、なるべく健康に気を付けて毎日を前向きに送らなければと思っている。

妻は私がへまな事や愚かな事をしでかすと「今度結婚するときはもっと賢い人とする」とか「勘違い結婚」だったとときどき口にしていた。そう言われるとこちらとしてはあまり良い気がしなかったが、敢えて反論はしなかった。勿論妻も本気で言っていたのではないから。しかし多少の後悔の念を抱いていたかも知れない。

 

まあ人間誰しも理想の相手にめぐり会えることはなかろう。与謝野鉄幹の歌にある「妻を娶らば才長けて、見目麗しく情けあり」と云った理想的な女性を見つけても、果たしていつまでもそうした状態が続くだろうか。女性の立場からもみても同じだ。完璧な人は恐らく世の中には存在しないだろう。そして往々にして「佳人薄命」と云うか、運命の風は逆風になることが多い。そうなるとむしろ悲劇である。結婚生活はお互いやや不満な面があっても、忍耐と寛容の精神で補っていく方が固く結ばれるのではなかろうか。

 

その点から考えて、われわれの結婚生活は何とかうまくいった。妻は非常に理知的だが情け深かった。また正義を尊び、曲がったことを極力嫌った。そして話し好きで多くの良き友達に恵まれた。しかし元々あまり丈夫な身体ではなく色々な病気を経験し手術もした。とくにここ10年来「脊柱管狭窄症」で足腰の痛みに悩み苦しみ、それをわたしにだけは訴えていた。もしあのように突然の死に遭遇しないで、この先長い間苦痛の日々をベッドに臥して堪え忍ぶようになったら、却って不幸だったかも知れない。その意味に於いて、妻のあっさりした性格の反映のような死に方を、私としては寧ろ良きこととして受け容れたく思う。

 

この57年と8ヶ月の結婚生活を振り返ってみたとき、妻は本当に良くしてくれた。大学を中退してまで来てくれた事だけ考えても有りがたい。わが家にあって直ぐ家風になじみ溶け込み、まるで我が家の娘かと父の友達が父に尋ねたと言うが、その様に父とも分け隔てなく遠慮なくやってくれていた。其の事だけでも私は有り難く思う。

騒音に苦しんだ事はやはり厳しい人生に於ける試練だった。色々な方々のお陰で、21年前の平成10年に山口市に転居できたことは何と云っても有難かった。これも考えて見たら運命というか、目に見えない「他力」のお陰で、先祖の方々もそのように取りはからって下さったのだと思う。感謝以外の何物でもない。妻も此の事を同じように考えて仏前に手を合わせていた。妻が亡くなって初めて知ったが、「般若心経」を毛筆できちんと書いて大きな箱一杯に収めていたが、このお経の教えを信じて居たのだろう。日記を見ると人は容易には悟るが出来ないと書いていたが、こう言った事にも多少関心を抱いていたのかも知れない。もう少しこうした事を話し合ってみたかった。

数年前から所謂「家庭内別居」でそれぞれの部屋で自分の時間を持つようにして本当に良かった。お陰で思うように自分を見つめ、好きな本を読み、自分を向上させるように努めることが出来たから。これも妻の提案だった。何かにつけて進取の精神を抱いていた妻は、先の事をいつも考えそれを実行に移していた。整理整頓、つまり身辺の整理をいつも真剣に考えていたが途中で亡くなってしまった。「明窓浄机」が妻の理想だったのだろう。

考えて見ると、学生時代と結婚の後のほんの始めだけ私が先生の立場にあったが、その後はその立場は逆転したと云える。それで良かったと思う。

 

今や一人になり、これからどれだけ元気で生きていけるか分からない。しかし健康には十分気をつけて子供たちに迷惑をかけないようにしたい。そして出来たらこれからの自分の生き方が、息子達にとって、多少なりとも範となるように生きたいものだと考えている。

その点モンテーニュの『随想録』や『徒然草』といった東西の古典は、老境を如何に生きるべきかと云うことで、示唆に富む良書だと云える。58回目の結婚記念日にあたり、こうした思いを筆にしてみたのである。

令和元年10月1日 記す