yama1931’s blog

長編小説とエッセイ集です。小説は、明治から昭和の終戦時まで、寒村の医療に生涯をささげた萩市(山口県)出身の村医師・緒方惟芳と彼を取り巻く人たちの生き様を実際の資料とフィクションを交えながら書き上げたものです。エッセイは、不定期に少しずつアップしていきます。感想をいただけるとありがたいです。【キーワード】「日露戦争」「看護兵」「軍隊手帳」 「陸軍看護兵」「看護兵」「軍隊手帳」「硫黄島」※ご感想や質問等は次のメールアドレスへお寄せください。yama1931taka@yahoo.co.jp

チャーハン(炒飯)  

 チャーハンとは中国語で言う中国料理。米飯を油で炒め、肉・卵・野菜等を混ぜあわせて作った焼き飯である。食材さえあれば手っ取り早く簡単にできる。

実は今朝八時前に降りしきる雨の中、息子夫婦と一緒に孫娘が来た。息子達は二人とも教員で、今日は「スポーツの日」であるが、行事があるとかで娘を預かって呉と言って連れてきたのである。孫は小学六年生である。来るとすぐにテレビをつけ、肝腎の宿題は余りしない。我々の子供時代はテレビがなかったから、外に出て遊んでばかりだったが、テレビ観賞も案外知恵が付くように思った。

 

丁度正午になったので私は試しに孫に向かって、「笑(えみ)ちゃん。チャーハンを作ってくれんかね。ご飯と卵はあるよ。」と言ったら、いとも簡単に「良いよ。ハムか何かなる?」と言って取りかかった。孫は笑瑠(えみる)という名前である。「エミル」と言えば欧米でも覚えやすい名前である。実はこの子が家で母親に教えられてチャーハンを作る様子を、以前息子がネットで送って呉れていたからである。

 

「おじいちゃん、胡椒(こしょう)はどこにあるの?」と云うから胡椒と小さな葱(ねぎ)も出して与えた。その間私はテレビを見ていたが上手に器に盛って食卓に並べてくれた。私は冷蔵庫から冷い水と前もって作っていた胡瓜(きゅうり)膾(なます)を出し、孫の作ってくれたチャーハンと一緒に食べた。味付けもよく結構美味しかった。

同じ孫でも男の子ならこんなことは普通できない。その点女の子は役に立つ。妻が生きていた時はこの子が来たらよくチャーハン作って食べさせていた。そのことを思い出しながら孫と二人の昼食を楽しんだのである。

 

今日は九州北部から西日本にかけて強い雨との予報だった。その通り一時猛烈な雨が降った。我が家のすぐ前100メートル行った所にスーパーがある。私は一人になってからは殆ど毎日スーパーへ行って買い物をする。刺身とコロッケだけは買うが、其の他数種類の野菜や蒟蒻(こんにゃく)などを買ってきて自ら調理したり、大根すりを作ったりして、店頭に並べてある既製の品は買わないことにしている。

今日は孫がせっかく来たので、できたらスーパーで「にぎり寿司」でも買ってやろうかと思っていたのだが、この天気で出歩けないので、お蔭で孫の作ってくれたチャーハンを戴いたと言うわけである。

 

先にも述べたように、チャーハンは中国人がよく食べるものであろう。テレビで映し出された長江の大雨による氾濫は想像以上である。此の度のコロナの発生源と言われている武漢一体は洪水に見舞われ、殆どの家屋が水没状態である。住民たちは果たして食事をどうして摂っているのだろうか。

 

十数年前に友人の家族とパック旅行で中国へ行った。武漢から飛行機を乗り継いで、遠く西域のウルムチやトルハンへと行った。トルハンは氣温の差が世界でも最大とか言っていた。砂漠の中に位置していて暑い時は摂氏五十度にも達し、寒いときはマイナス三十度以下にもなると言う。砂漠の中から発掘されたミイラなどを見た。今は治安が悪くとても行けないだろう。ウイグル地区での住民の虐待を耳にする。西域は確かに異郷の地である。羊肉の料理が多かったと記憶する。そこから今度は大陸をバスや列車で移動し、広大な砂漠地帯を横断しながら帰路についた。敦煌世界遺産である莫高窟を見学したり、かっての都長安、今の西安で秦の始皇帝兵馬俑、さらに北京の紫禁城など名所旧跡などの見学の旅を続けた。その間チャーハンは勿論も出たが、中々豪勢な中国料理に皆舌鼓を打った。

 

私は長江の川下りはしていないが、今その流域の惨状は何とも悲惨なことである。中でも三峡ダムは危険な状態だと報じている。政治家の目指すべきことは、先ず第一に治山・治水を完全にして国土をしっかり守り、国民の生活の安全を図る事にあると思う。現在中国の共産党指導者達は徒に軍備を拡張して、国民の生活を二の次にして居るように思われる。これでは最終的に国は滅ぶのではなかろうか。一方我が国はどうだろうか。

今コロナ感染が世界的に蔓延している。折角の連休も外に出られない。若者達にとっては実に気の毒なことと思う。孫も我が家に来て、家の中にいてテレビを見たりボールを弄んだりしているので。一寸雨が上がったので外へ出てキャッチボールの相手をしてやった。然し老体は直ぐに疲れる。少し遊んでまた家の中に入った。その後孫は鳥の写真を見て繪を描いていた。

五時過ぎに息子たちが帰ってきた。そこで抹茶を一服の飲ませた。そのとき息子がこう言った。

「in for a penny, in  for  a  poundという言葉を知っているか?」。

私は知らないと言った。英英辞書を開けてみたら次のように書いてあった。

 

⦅諺⦆ 「やりかけたことはなにがなんでもやり通せ」

 

なぜ息子が突然このような文句を口にしたか分からないが、なかなか良い諺だと思った。

 

私は息子が帰るまでに書いた文章を、「笑ちゃん。おじいちゃんが書いたこの文章を読んでごらん」と言って見せたら、途中分からない漢字が幾つかあったが、早口にすらすらと読んだ。子守も骨が折れるが結構楽しい一日だった。

2020・7・24  記す