yama1931’s blog

長編小説とエッセイ集です。小説は、明治から昭和の終戦時まで、寒村の医療に生涯をささげた萩市(山口県)出身の村医師・緒方惟芳と彼を取り巻く人たちの生き様を実際の資料とフィクションを交えながら書き上げたものです。エッセイは、不定期に少しずつアップしていきます。感想をいただけるとありがたいです。【キーワード】「日露戦争」「看護兵」「軍隊手帳」 「陸軍看護兵」「看護兵」「軍隊手帳」「硫黄島」※ご感想や質問等は次のメールアドレスへお寄せください。yama1931taka@yahoo.co.jp

油断大敵

 妻が亡くなって3日後に高津さんが亡くなられた。彼は実際は高校の2年先輩だが、病気で休学されたので、1年先輩ということになった。しかし高校時代は全く面識がなかった。

私は小野田高校に6年勤めた後、宇部高校に転勤した。その時同時に高津さんも徳山高校から宇部高校に来られた。それで私は彼が高校の先輩だと初めて知った。不思議な事にわれわれは2人ともこの学校に3年勤務しただけで母校の萩高校へまた転勤した。私はそのまま居続け、その後萩商業へ移り定年まで萩にいたが、彼はしばらくして転出し、最後は何処かの校長を勤めて定年を迎えられた。

私は定年退職後事情があって山口市に居を移した。ところが高津さんの住まいが車で行けば10分足らずの所にあるのを知った。彼も私より数年前に山口に新居を構えていたのである。こうした不思議な縁で私は時々彼を訪ねた。彼は私にとって実に良き先輩で話し相手であった。しかし晩年肺疾患で外出が出来なかったので、私が訪ねると喜んでくれていた。妻が急死し、相次ぐようにして高津さんが亡くなられた。気心が合うとか、気脈が通ずるという言葉があるが、こうした心置きなく話せる相手が亡くなるということは、徒に長く生きる者にとって、耐えねばならぬ淋しい事である。

 

先日高津さんの奥さんがかき餅を持って来られた。

「主人が半乾きのかき餅が好きでした。まだ充分に乾かないのを好んでよく食べておりました。先生はお上がりになりますか?」

こう云ってビニール袋に入った、まだ充分に乾いていない紅白のきれいに切ったのを持って来られた。私もかき餅は好きだから有難く頂戴して、一先ず冷蔵庫へ入れた。しかし今考えると、その時折角の半乾きのを食べるべきだった。

私は昼食を改まって食べないことにしている。今日何気なく少し何か食べようと思い、先日もらったかき餅でも焼こうかと思ったとき、まだ妻がいたときから、籠に入っていたかき餅のあるのを思い出して、これから先に焼いて食べようと思って、電気パン焼き器に4枚ばかり並べて5分間のスイッチを入れた。こうして焼き上がるのを見守っておれば良かったのだが、ふと宇部の林さんに電話をして近況を訊ねてみた。

「寒いから何処へも出ませんが、図書館と買い物には車で行きます。昨年免許の更新をしましたから来年までは乗るつもりです。来年で87歳になりますが、車がないと不便です。子供が学校に通うのに便利だと思って、街中ではなくて高台に家を建てましたが、今となっては失敗でした。買い物に900メートルも行かなければスーパーがありませんから、足腰の痛い家内の為にも車は手放せません」

「そうですか。私はこの2月で止めることにします。もう88になりますから」

「だれも皆年を取るとガタがきますね。誰それさんはどうしておられますか?」

こう云って在りし日の同僚達の消息を話し合って、次から次へと話題を変えて話に夢中になり、かき餅のことはすっかり忘れていた。

 

そうするとどこからともなくピーピーと音が聞こえてきた。ふと振り返って見たら、煙が立ち上っている。何だか焦げ臭い臭いもする。此の時初めてかき餅を焼いたことを思い出し、直ぐスイッチを切り、電話も適当に切った。

問題はそれからである。既に5分は経過していたが、かき餅は真っ黒焦げで跡形もない状態である。ボロボロになって炭に変形している。パン焼き器も焦げ付いて黒くなって居る。これは何とか片付けたが、部屋中に立ち籠めた臭気を如何にして排除するかである。キッチンとリビング兼用の部屋と続きの玄関の間のガラス戸と窓を全て張り開け、座敷から扇風機を持ってきてフル回転したが、おいそれとは室内に立ち籠めた煙と臭気は排除できない。どことなく残って鼻につく。当分の間解放状態を続けて居らなければならなかった。しばらくして外に出て庭にある地蔵様を拝んで室内に入ると、まだ何となく焦げ臭い臭いがする。

 

たかが小さな4枚のかき餅でも、これだけの騒動である。いつぞや京都のアニメーションの作業場が放火されて、若い人が多く窒息死した。実に傷ましい事件を思い出した。世界各地ではしばしば山火事が発生する。私はこの小さな事件でも此れ程の騒動を起こしたので、大火災ともなれば想像を絶するものだと思った。と同時に家内が亡くなり一人暮らしの身には、火事ほど怖ろしいものはない。火元には充分気を付けなければいけない。今回のかき餅焼きはよい教訓になった。此の度は私の方から電話をしたのだが、先方から掛かってきたり、訪問客のあったとき、もし火を使っていたらまず消して対応しなければいけない。肝に銘じておかなければいけないと大いに反省した。

しかし一時の反省では直ぐ忘れると思い、小さな紙を取りだして『火元注意』と書き、その廻りを赤い線で囲んで、調理をするコンロと、パン焼き器のある場所に貼り付けた。その時ふと、子供の頃良く言っていた「油断大敵 火がぼうぼう」という言葉を思い出した。

「油断大敵」と言うが「油断」という言葉がどうも分からないので『廣漢和辞典』を引いてみた、すると次のように書いてあった。

 

 「気をゆるして注意を怠ること。」

 これは誰もが知っている。続けて、

「昔、ある王が家来に油の容器を持たせ、中の油をこぼせば命を断つといったことに基づく。[涅槃経]

 

「油」をこぼしたら命を「断」たれる。これで「油断」の意味由来が分かった。それこそ油に火が付くというが、「火元注意」[油断大敵]である。

私は久し振りに漱石の『行人』を読んだ。漱石は宛字の名人だと思う。例えば「引泣(しゃくり)上げる聲」とフリガナを付けている。外にも「狐鼡々々(こそこそ)」、「蚊(か)弱(よわ)い」、「調戯(からか)った」「八(や)釜(かま)しい」「焦(じれ)急(った)たさうに」などいくらでもある。そこで私は彼なら「由々しき」とは書かないで「油油しき」と書くのではなかろうかと、『漱石全集』の「索引」を見てみたが、見つからなかった。

2020・1・22 記す