yama1931’s blog

長編小説とエッセイ集です。小説は、明治から昭和の終戦時まで、寒村の医療に生涯をささげた萩市(山口県)出身の村医師・緒方惟芳と彼を取り巻く人たちの生き様を実際の資料とフィクションを交えながら書き上げたものです。エッセイは、不定期に少しずつアップしていきます。感想をいただけるとありがたいです。【キーワード】「日露戦争」「看護兵」「軍隊手帳」 「陸軍看護兵」「看護兵」「軍隊手帳」「硫黄島」        ※ご感想や質問等は次のメールアドレスへお寄せください。yama1931taka@yahoo.co.jp

『坊ちゃん』にある「擬態語」

最近たまたま図書館で井筒俊彦のことを書いた本を借りて帰り読んだ。彼は古今東西の思想・哲学を本当に知るには、それを書いたその国の言葉を理解しなければ駄目だと決心して、英・独・仏語はもとより、ギリシャ語、ラテン語、さらにヘブライ語からロシア語、この他サンスクリットや古代の中国語など三十カ国語以上をマスターしたという天才であることを知った。

 

わたしは以前『坊っちゃん』読んだとき、「擬態語」が頻繁に出てきたので、これを外国語に正しく翻訳することは出来ないのではないかと思ったことがある。今日も此の事を歩きながら思い出して、帰って『坊っちゃん』を見てみた。

最初の三十頁の中だけでも面白い表現が一杯あった。例えば次ぎのような『擬態語』は英語でどのように翻訳したらいいのだろうか。

 

「ぐいぐい押した」「ざあざあ音がする」「のそのそ出てきた」「うとうとしたら」「がらがら通った」「がやがやする」「にやにや笑っている」「むづむづする」「つるつる、ちゅうちゅう食う」「砂でざらざらしている「すたすた帰る」「くさくさした」

 

先日歩きながら「散歩」という言葉が頭に浮かんだ。辞書を引いてみたら、「そぞろあるき」「ぶらぶらあるき」「散策」と説明してあった。そこで「散策」を見たら漢和辞典では「杖をついてぶらぶら歩く」とあったが、『日本国語大辞典』(小学館)には、「気晴らしや健康などのために、ぶらぶら歩くこと。とくに目的がなくぶらぶら歩くこと。散歩」とあって、この説明が一番良いと思った。

 

ついでに漢和辞典で『散』を引いたら、他動詞として、「ちらす、はなつ」の意味だとあり、「散華」「散見」「散財」の意味は分かったが、「散適」が「そぞろ歩きして気を晴らす」。「散髪」の本来の意味が「髪の毛を振り乱す。転じて官位をすてて世をのがれ隠れること」とは知らなかった。

 

翻訳に関連することだが、これも最近気が付いたことをついでに書いてみよう。毎年歳末に萩のお寺へ墓参りに行った時、『浄土宗 月訓カレンダー』をもらう。これには毎月教訓めいた警句と、それに対する英文が載っている。十二月に次の言葉があった。

 

わがこととして

                                                          

われわれ日本人には分かるが、果たして外国人にはどうだろうかと思って、この下に小さい字で書いてある文章を読んでみた。

 

「他人の笑顔に喜び、涙に悲しむ。ささやかな寄り添いに、人は救われるものです。

We should stand beside others, making their joys and sorrows our own.

 

説明文としては申し分ないが、元の格言的な簡潔な言葉を思うと、やはり翻訳は難しいことだと、これを見ても分かる。