yama1931’s blog

長編小説とエッセイ集です。小説は、明治から昭和の終戦時まで、寒村の医療に生涯をささげた萩市(山口県)出身の村医師・緒方惟芳と彼を取り巻く人たちの生き様を実際の資料とフィクションを交えながら書き上げたものです。エッセイは、不定期に少しずつアップしていきます。感想をいただけるとありがたいです。【キーワード】「日露戦争」「看護兵」「軍隊手帳」 「陸軍看護兵」「看護兵」「軍隊手帳」「硫黄島」        ※ご感想や質問等は次のメールアドレスへお寄せください。yama1931taka@yahoo.co.jp

光は直進する

                 一

 

四時前に目が醒めた。トイレに行き、起きるには少し早いと思ったのでまた床に入った。しかし睡眠は十分足りているのでもう眠れそうにない。床の中であれこれ考えていたが思いきって起きた。五時十分前だった。洗顔の後「さて今日から何を読もうか」と思った。

 

昨日の午前中に、それまで数日かけて読んでいた三冊の本を丁度同時に読み終えた。水上勉の『一休』と井上靖の『敦煌』、またこれを読む契機になった劉東波という若い中国人の書いた研究書、『井上靖シルクロード』の三冊である。

 

いずれも私には興味のある内容で面白かった。しかし『一休』は少し難しかった。とくに水上氏が引用している一休の漢詩が、その意味内容を分かりやすく説明していないのが度々出ていたからである。『狂雲集』や『続狂雲集』の漢詩文は、漢字を見た丈では理解できない。水上氏も専門家の教えを受けたと書いている。

 

『一休』を読んで初めて知ったのだが、彼の母は後小松天皇の侍女で一休を産んで程なくして宮中から退き、その後数年して一休は仏門に入るので母と別れている。それから彼は猛烈な修行をする。母は四十歳代で亡くなっているが、一休は母への思慕を持ち続けている。晩年になって森(しん)という盲目の女性と知り合い、老境に至までその女性と同衾している。そして彼が八十八歳で亡くなるまで、その女性を手元に置いている。

 

彼は最晩年には大徳寺管主にまでなっているが、この女性との生活を続けたということは、道元などの教えとは真逆の生き方だから、風狂の生き方と言われるのも当然だが、これも人間としてのありのままの姿で、水上氏は肯定的に書いている。

 

「一休頓知物語」に出てくるような内容とは全く違った彼の生き方は、彼の漢詩集をもっとじっくり読んでみなければ分からないように思った。それにしても七十四歳の時四十歳くらいの盲目の女性に子を産ませ、その子は死産だったが、彼は精力絶倫、彼を非難する者には真似が出来まいと水上氏は書いている。

 

「色の世界に色なき人は金仏(かなぶつ)木仏(きぶつ)石ほとけ」

 

人間の自然を否定して何処に人生があるか。煩悩を罪悪として何処に人間があるか、私はそううけとる、と最後に水上氏は結びとしていた。

一休の「辞世の詩」は次のものとあった。

 

 十年、花の下、芳盟を理(おさ)む、

一段の風流、無限の情。

惜別す枕頭児女の膝

夜深うして雲雨、三生を約す。

           

                  二

 

井上靖の『敦煌』を映画にしたのは、その昔見たから何となく内容を覚えていたが、今回小説を読んでよく分かった。歴史的事実に基づいた井上氏の想像力による作品だと知って面白かった。しかし期待した程の感銘を受けなかった。ただしかし、二十年ばかり前に妻も一緒だったが、西域ヘのツアー旅行で、敦煌莫高窟の石仏や壁画などを見学したり、一望千里の砂漠の中、ただ一筋の直線道路をバスで走ったり、砂漠の中のオアシスなど、ここに書かれている場面設定を実体験したので、井上氏の書いた内容を身近に感じた。

広辞苑』で「西夏」を引くと次のように載っている。

 

李元昊(りげんこう)が、宋代に甘粛省およびオルドス地方に建てた国。大夏と自称。都は興慶(銀川)。中心はチベット系タングート族。宋、遼、金と和平・抗争を繰り返して、最後にモンゴルに滅ぼされた。文化は中国文化・西方文化の混融したもので、仏教が栄え、独自の西夏文字を有していた。(1038~1227)

 

一〇三八年から一二二七年までの僅か二百年足らずの間に、忽然と西域の地に出現した仏王国であった西夏という国に、井上氏は格段の興味を持って関係の書籍を実によく調べて、史実に基づき、想像力を逞しうして、このようなロマン溢れる長編に書き上げたのだから感心する。彼がこれを書いて、十数年後に実地へ行ったいたというのにも驚いた。

それにしても地球上にはこのように忽然と生じて、また滅亡した国や言葉があったのだろう。西夏文字など今は僅かに記録に残っているようだが、文字や言葉の研究をしたら切りがないと思われる。日本人で語学の天才だといわている井筒俊彦氏が二十七カ国語をマスターしていたとのことだが、世界には数千語の言葉があると言うことだ。

 

一休が文明十三年(一四八一)十一月二十一日、「泊然として寐るが如く坐逝したまう」と書いてあったので、「泊」という字を辞書で調べたら、「心が静かであっさりしている」とあった。だから「淡泊」という言葉があるのを知った。「停泊」とあれば、船が岸に、あるいは人が宿に「とまる」という意味だが。ついでに「白」という字をみたら多くの言葉が載っていて、私には容易に読めないのが沢山あった。

 

白癬(しらくも) 白湯(さゆ) 白粉(おしろい) 白面(しらふ) 白(ぬ)膠(る)木(で) 白水(しろうず) 白老(しらおい) 白鑞(しろめ) 白(べ)耳(ル)義(ギー) など。

 

                三

 

以上のような訳で、今日から何を新たに読もうかと思い、井上氏の『私の自己形成史』を読むことにした。活字が小さい時には、最近は拡大鏡を利用し、さらに電気スタンドを間近に置いて読むことにして居る。所で今日不思議な現象を目にした。

 

私が使っている拡大鏡は、半円球の透明な硝子で出来たもので、直径が七センチ、したがって厚さは当然その半分である。これを本の上に置いてずらしながら読み進むのだが、蛍光灯の光が硝子の球体の一点に集中して、その箇所だけが白光りに輝くので、その輝いている所を避けて読まなければならない。

 

何気なく目をやったら、その光が白熱して見える所から、ごく細い光の線が放射状に出ているのが微かに見えた。そこで側にあった真っ黒い表紙の本を立てかけて、その光の線を一段と良く見えるようしにしてみた。そうしたら驚くことに先に云った蛍光灯の光が球状の硝子の一点に集約されて、そこが白熱したように輝き、そこから細微な光が放射されているのが一段と明瞭に見えた。数えたら三十本くらいの線だが、どれもピーンと糸を張ったように円錐を逆にしたように真っ直ぐに放射されているのに驚いた。

 

「光は直進する」と言うことは聞いてはいる。朝の陽光が雲間から射して、帯状に広がって輝いているのは良く目にする状景だが、こうした細かい光の線を初めて目にした。実に鮮明に見えたので貴重な体験だと思った次第である。この歳になっての初めての物理現象を目撃したのだが、言葉や文字にしても知らない事だらけで、少しでも知る楽しみを持つことが出来たら、これも脳の活性化になるだろうと思うのである。

 

敦煌』の中で井上氏は、城壁から身を投じた回鶻(ウイグル)の王族の女性が持っていた玉の首飾り。これを繞っての男達の争いを、密かな主材にしているが、古今を通じて珍奇な玉は人間の魂を魅了してきたと思われる。単なるガラス玉の光でさえ、見た目に不思議さを思わせるのだから、瓔珞や瑪瑙や紫水晶や金剛石などを精巧に加工した一連の玉は、それだけでも手に入れようと国を挙げての戦いが生じたというのも、あながち奇とするには当たらないかなと思うのである。

 

私は毎日散歩する。春先から初夏にかけて見知らぬ草花が道端に咲いている。非常に小さい一二数センチどころか数ミリもの小さな花でも、よく見たら造化の妙だと思われるものがある。自然と言うか神の働きは偉大だとつくづく思うのである。

 

                   2021・6・4 記す