yama1931’s blog

長編小説とエッセイ集です。小説は、明治から昭和の終戦時まで、寒村の医療に生涯をささげた萩市(山口県)出身の村医師・緒方惟芳と彼を取り巻く人たちの生き様を実際の資料とフィクションを交えながら書き上げたものです。エッセイは、不定期に少しずつアップしていきます。感想をいただけるとありがたいです。【キーワード】「日露戦争」「看護兵」「軍隊手帳」 「陸軍看護兵」「看護兵」「軍隊手帳」「硫黄島」        ※ご感想や質問等は次のメールアドレスへお寄せください。yama1931taka@yahoo.co.jp

人災と天災

私は隔日に入浴している。昨夜9時前に風呂から上がり、就寝の時間だから床を敷いて横になったと思ったらすぐ寝入った。2時頃目が醒めたら浴室の脱衣場が異常に明るい。電気ストーブをつけたままにしていた事に気が付いた。直ぐ起きてスイッチを切り、トイレに行ってまた寝床に入った。床に入り色々と考えた。

テレビで親子が焼け跡から見つかったといった事件があった。家が燃え

ているのに気が付かずに寝ていて焼け死んだのだ。家が燃えているのを知らずに寝ていて、焼け死ぬというような事があり得るかと思ったが、あり得ることだと考えを変えた。

夏の暑い時、庭に撒水した後、ホースの先の放水器具の栓を閉めただけで、元の水道の蛇口を閉め忘れ、翌朝行ってみたら周囲が水浸しで、蛇口から噴水のように水が出ていた。急いで蛇口の栓を閉めた。その月の水道使用料金が異常に高かったからであろう、注意書きが使用量の明細書に書いてあった。水ならお金で解決出来る。しかし火事を起こして、自分が焼死するだけなら仕方がないとも言えるが、近所迷惑また子供たちにも迷惑をかける事になる。大いに反省して火の用心をしなければいけないと肝に銘じた。

 

我が国は以前は皆木造建築だから火事が多かった。「火事と喧嘩は江戸の華」と言うが、明暦3年(1657)1月8日に起きた「明暦の大火」について、『角川日本史辞典』に次のように記載されていた。

 

振袖火事・丸山火事ともいう。火元は本郷丸山本妙寺。江戸市街の大部を焼き、焼失町数800町、焼死人10万。江戸初期の町の様相は失われ、回復にあたっては道幅・町家の規模を統一し、市街を整備して火よけの広小路を設け、本所・深川にも市街を拡大。本所回向院はこの時の死者を祭ってある。なおこの火事は同じ振袖を着た娘三人が次々と病死したので、その振袖を焼き捨てたところ、火がついたままに舞い上がり本堂に燃え移り、さらに江戸市中に飛火したことから振袖大火と呼ばれるようになった。

 

 何だか娘さんたちの祟りによる大火のように思える。火事にもいろいろある。野中の一軒家ならいざ知らず、今日のように都会などで若し不始末の結果火事を起こしたら、隣近所に大迷惑を掛けることになる。先にも書いたように、出火させた張本人はもとよりその家族も世間に重大な責任を負うことになる。ところが今現在、交通事故で相手を殺傷した場合の方の責任を問われる方が大きいような気がする。私はこれはどうも可笑しいのではないかと思う。若し本人の不注意による失火によって多人数の人が死ぬような事があったらただ事ではない。戦争はその意味ではもの凄い犯罪である。アメリカ空軍の東京を始めとする大都市への空爆、とりわけ広島・長崎への原爆投下は大犯罪である。その為に無辜(むこ)の人たちが何十万人と焼け死んだ。それを日本が悪かったと洗脳されて今日まで来ている。

 

マスコミのこう言った宣伝はどう考えても間違いである。話が逸れたが、私は「火宅」という言葉をふと思い出したので辞書を引いてみた。

 

【火宅】(煩悩が盛んで不安なことを火災にかかった家宅にたとえていう)現世。娑婆。

 

 「火宅」と「家宅」では語呂が似ているが、私はなるほどと思った。現実の世の中は、家が焼けるということと同じように、恐ろしい点で人間の煩悩に似ている。煩悩は火事同様に卑近なことであると同時に恐ろしく避けがたいものである。自分の家から火事を起こしたら消しがたい。同じように煩悩も消すのが難しい。「火宅僧」という言葉のあるのを知った。違った言葉で言えば「生臭坊主」と言うのだろう。充分に修行をして独身を通して、人格者として尊敬を受けるような僧侶は今はまず居ない。法然日蓮、西洋ではアッシジの聖フランシスのような優れた人物が今は殆ど居ないから、宗教が廃れたとも言われるのも無理はない。先師とか先生とか言われるのは、昔は僧侶と医者と教師に限られていたが、今は猫も杓子も先生である。国会議員の連中が先生呼ばわりされているが、彼ら政治家は最も金銭欲や権力に汚染されていて、先生と呼ばれる資格はないような気がする。

 

聊か話が「飛火」したが、わたしは明暦の江戸の火事の後、江戸で起きた大災害をちょっと調べてみた。明暦の大火が先にも書いたように、西暦1657年。それから丁度50年後の1707年に富士山の大噴火が起きた。これは「宝永の大噴火」と呼ばれている。宝永4年11月23日(太陽暦では12月16日)午前10時頃、富士山の南東斜面より大噴火が起こり、黒煙、噴石、空振、降灰砂、雷があり、その日のうちに江戸にも多量の降灰があった。房総半島にまで被害が及んだ。2週間にわたって断続的に噴火し、家屋や農地が埋まり、麓の村では餓死者が多数出た。この噴火の49日前に宝永東南海地震(推定M8.6)が起きたとある。

 

これに続くのが1923年9月1日の関東大震災だろう。この震災で全半倒壊、焼失、流失、埋没等の被害を受けた住宅は合計で37万棟、10万5000人以上の死者、行方不明者が発生した。このうち火災による死者は9万2000人弱で、死者全体の9割、地域では東京市(現在の都区部に相当)と横浜市の死者の合計が全体で9割超に相当する9万5000人強に上ったとのことである。

 

これから僅か23年後に米空軍による東京大空襲があった。3月10日、4月13日、5月24,25、26日と以上5回の空襲で死者が10万人以上、3月10日の空襲だけで、罹災者は100万人を超えている。

 

2020年も数日で終わる。そうすると関東大震災から既に100年以上経ったことになる。最近小規模の地震が頻繁に発生している。地震研究者は近いうちに大規模の地震が起きることは間違いないと云っている。そうなると、それに伴って富士山が大噴火する可能性がある。「天災は忘れられた頃に来る」とは寺田寅彦の名言だが、政府を始めとして国民はこの事をどう考えて居るのだろうか。コロナやオリンピック開催どころの話ではなくなるだろう。今度関東大震災の様なことが起きたら、50万人くらいの人が死に、新幹線も飛行機も動かなくなると云われる。それだけではない、東京への一極集中で日本全体が麻痺状態になるのではなかろうか。私は田舎での一人暮らしだが、有り難いと思うと同時に、火の用心だけはしなければならない、とつくづく思うのである。

                     2020・12・26 記す